有史以前から人類と共存した「歌」の存在意義とは?

「有史以前から人類と共存した「歌」の存在意義とは?」のアイキャッチ画像

音楽において音を生み出すという行為は基本なわけで、ではその基本的な音を生み出すという行為はいかにして発生させることができるのか。

たとえばドラムスの起源を辿れば、原住民が自分の身体を叩いたり大地を踏み鳴らすことで音を発生させコミュニケーションとして利用していたということもあれば、仕留めた獲物の骨を利用として弦を弾くように音を鳴らしていたということもある。

それらは言わばものを使うことで音が発生するが、そもそも人間生物として音を自然に発声させる器官が備わっている。

声、喉。

声は音を言葉として発声させるものであり、コミュニケーションとして当たり前に使っているからこの喉を使えば音楽ができるじゃないかということで生まれたのが歌です。

ではその歌とはいかにし発展し生まれていったのか。そんな歌の歴史を紐解いていこうと思います!

そもそも歌って?

歌とは声によって音楽的な音を生み出す行為であり、感情を表現することを最大の目的としています。

リズムや旋律、それに歌詞など意味を持たせて連続発声する音楽のひとつです。楽器を用いなくとも音楽が奏でられるというのは、当たり前のこととはいえ言葉にすると不思議なものです。

歌の起源はなにもビートルズがイギリスに誕生してからなんてことは当然なく、旧石器時代にまで遡るとも考えられています。

ちなみに旧石器時代とはいつだよという話ですが、石器時代が人類が石材を用いて生活を営んでいた時代で、新石器時代と呼ばれる頃が紀元前8000年頃です。つまり今から1万年前です。

で、これは新石器時代。さらに旧石器時代といえば石器時代の最初期なので、旧石器時代は前期ともなればいまから10万年前から200万年前になります。

(旧石器時代とはいえどの頃に生まれたかという話にもなるので、200万年前から歌が存在していたとは言い切れませんし、どの時代に発生したのかという疑問も残りはします)

……ここまでくると歴史が古いどころの話じゃありませんし壮大極まりない話になりますが、しかし歌、それも喉を用いた歌唱が音楽として古代から親しまれていたというのは直感的にも自然なことではないでしょうか。

なにせ人間は言葉という音でコミュニケーションを取るため、文化としてこの喉を音として用いるという発想自体は本能的な行為とも捉えられます。

自然界では歌ではなく言語として使われている?

とはいえ、自然世界において歌というのは意外にもポピュラーではありません。

小鳥のさえずりは人間生物からしてみれば歌のように華麗で可憐ですが、あれは別に歌ではなく、人間が歌だと捉えて小鳥さんの鳴き声を褒め称えているだけで、基本的には言語です。

(ここからも声と言語と歌の繋がりを感じさせてしまいますね)

動物行動学的に見ても小鳥の鳴き声は文法まで存在するほど厳密に言語なので、チュンチュン平和にさえずってるようでも天敵を見つけて警戒しまくってる場合があるので自然界的には危機でしかない場合だって多々あります。

(小鳥のシジュウカラに至っては鳴き声で天敵の存在まで言語として使い分けているというくらいです。ヘビではヘビとして鳴き声で仲間に伝え、タカならタカとして鳴き声で伝えてるのですからまんま言葉そのものとなります)

このように一見歌に聴こえても、自然界では歌というよりはコミュニケーションの手段です。

ではなぜ人間には明確に言葉としてではない歌が存在するのか。そしてどうやって発展していったのでしょうか。

「歌う」と「話す」の違い

当たり前ですが歌は歌であり、話したり語ったりする行為とは別です。

とはいえ、さっきも言ったように同じ発声であるにもかかわらず伝達の手段も違えば目的が違うというのも興味深いことです。

読解とは異なり文字を必要とせず、聴衆がいるという点も同じですが、相手を説得したり言葉を必要とするのが話すということに対して、歌とはただ聴くということである意味目的が達成されます。

そのため話すとは明らかに違うということで、聴くことで成立する感情表現であるという点が歌の得意な点といえます。

歌は歌詞がなくとも成立するので言葉がなくとも成立しますからね。

ちなみに言葉が歌が生まれたという仮説もあるほどです。言葉の起源は、意味と記号を対応させる能力が進化して、記号を組み合わせる能力が進化したという仮説が主流とされています。

しかし言葉がないところから言葉が突然発生したというのは疑問があるという考え方から、歌から言葉が生まれたという仮説もあります。

この歌から生まれるという発想は、歌の中の共通部分と、状況の共通部分がリンクするため、単語や文法を作るという言葉の発展ともつながりをもって説明することができます。

進化論で有名なダーウィンも歌から言葉が生まれたと提唱していたので、発声を必要とする歌と言葉が決して無関係ではないことが進化の過程においても見てとれるのは興味深いところです。

歌の発展は動物の求愛にヒントあり?

言葉というものは生命が単体であれば、つまり1人ぼっりなら必要のないものです。なぜならコミュニケーションが必要でなければ言葉という意思伝達手段の必要性はなく、ゆえに言葉は存在しなくてもいいものになります。

しかし生き物は人間であれ別の動物であれ単体ではなくほかの個体と共存しあい、社会を形成しているゆえに言葉は進歩していきました。

言葉が存在するということは社会が存在するということであり、ならば発声を用いて語り話ではなく、感情の意思伝達手段として生まれた歌が発展したのも人間が社会を形成した動物ならでは。

ちなみに人間以外で歌を歌う鳥のジュウシマツは、求愛のために美声を奏でます。しかしその歌には歌詞なんてものは存在せず、まったく意味がないのです。

まったく意味がない。言わば無駄だらけのラブソングの方が求愛に成功しやすいという面白いデータもあるほど。

交尾自体はどのジュウシマツも同様に行いますが、メスは独創的で無駄だらけのユニークなラブソングを歌うオスを探して交尾をするというのですから、なかなかジュウシマツ界も熾烈なボーカリストの争いが繰り広げられています。

というのも、この歌唱というのは生存能力を示すために非常に重要な指針となると考えられます。クジャクであれば派手で立派な羽を有しているからこそ生殖能力の強さをメスに誇示することができ、結果モテます。つまり生殖対象として認識されるわけです。

ジュウシマツの場合はそのアピール方法が歌というわけで、クジャクといいジュウシマツといいハイカラなアピールをしたもんです。人間社会でも屈強であったり華やかな男性は女性の目を惹きますし、動物というのはシンプルなプログラムで男女が求愛し合っているのだと動物行動を見ているとつくづく思います。

自然界の美声は命懸け

余談が続いていますが、これらアピール方法はけっこうリスキーな行動でもあります。

ただスカして着飾ったり美声を発しているだけでモテるなんてシンプルな話だったらまだいいですが、生物界は常に生き死にがかかっている世界。人間世界のように妬み僻みだけでは済まず、モテる男は常に死と直結した生活を送っています。

なぜなら派手な見た目してりゃ天敵に見つかりやすいですし、特徴的な美声を発してりゃ「ここに餌がありますよ」と伝えているようなものです。

さらにジュウシマツの歌でいえば、独特な歌を歌うというのはそれだけで神経回路を維持するコストが必要になります。

特徴的なボーカリストが喉のケアを怠らないようにするように、またはあまりに高音を歌いすぎて喉に負担がかかって潰れてしまうように、ジュウシマツも言わば声を武器にした装飾性の維持は命をかけて行なっているもの。

ボーカリストの喉が歌手としての生命線であるように、ジュウシマツは例え話ではなく自身の命をかけてメスを惹きつける美声を奏でています。命かけてりゃそりゃメスも寄ってくるにきまってますわな。

ちなみにですが人間でもスタントマンのように命をかけている男性は特有のフェロモンを発しているため、女性にモテるのだとか。格闘家や消防士も同様の理由でモテるようですね。分かりやすい男らしさを持っている人がモテるのは、生物的な理由があるというわけです。

「歌う」と「話す」の脳の違い

えらく生物とリンクした話で脱線も交えつつ話しましたが、歌の発展にはこのように動物の本能と直結した部分があると思えてなりません。

平穏無事な社会で歌唱力を磨くことが生死に直結するわけはないですが(戦場で歌ってりゃジュウシマツよろしくスナイパーのターゲットになって死に直結するでしょうが)歌唱力は分かりやすく男のモテにもつながりますし、なにかしたジュウシマツのように生殖アピールにつながる要素もあるかもしれません。

生物の優劣とは外見にも露骨に表れるものであり、たとえば肌が綺麗なのは生物として健康体を意味するゆえに美肌や清潔感は賞賛されます。清潔感がないということは病原菌を有している可能性の高さを示して生殖の危険性につながりますし、清潔感とかいうマナーですら本能に直結したサインとなります。

ならば歌の優劣も生物としてオスメスの生殖に関わっていて不思議ではないでしょう。

そんな歌ですが、話すという行為と同様に声帯を用いて発声しますが、脳の使用領域に違いがあるといいます。

歌の特異性

例示するのが多少憚られますが、脳の半球に大きな損傷を負ってしまい、結果的に会話に著しい支障をきたす失語症となった患者でも、歌唱であれば可能であるという例があります。

つまり、歌唱は脳の右半球だけ、また左半休だけというように偏った脳の使用ではなく、左右を使って行なっているということになります。

発話障害で言えば、話すことがほとんどできない重度の失語症の患者でも、仮称であれば一部は正しい発声が可能な症例すら見られるのです。

声を発声するという点では「話す」と「歌う」は同様でも、脳の使用方法が異なるというのは興味深いです。ゆえに「話す」と「歌う」は喉を介した同様の発声であるにもかかわらず、完全に別物として視聴する側は認識するほどの違いが生まれるのではないでしょうか。

そもそもが美声を発するためには、通常の会話とは異なる発声方法が良しとされていて、それをボイトレなりで練習しますし、歌の特異性というのは生物としての生殖能力の優劣の誇示だけではなく、テクニックとしても特有の能力が必要である行為といえます。

発声方法、そして脳の使用方法まで特異な使用で発声される歌は、旧石器時代から用いられていたと考えるとかなり本能的な行動なのだと改めて感じられます。

歌の発展

やたらと生物の本能だの構造からの話で歌というのをリンクさせてきましたが、では人間はどうやってその歌の歴史を深めてきたのでしょうか。

歌は先にも述べてきたのように遥か古代の数万数十万年単位の過去から歌という存在を示唆されてきていますが、現代のような歌唱がいきなり誕生したわけはもちろんありません。

そもそも楽器が存在していない太古から歌はありますし、楽譜でいうドレミの音階の文化すら確立されていません。

それでも音楽というのは音楽に興味がない人にとっても身近なものです。多種多様な発展やら役割を担う音楽は、たとえば童謡や子守唄を見ても明らかです。日常的に記憶の彼方向こうで流れていた音楽は育ての親が我をあやすためにその喉で奏でられていますし、子供時代に人間や社会の仕組みを教え込まれるためにも童謡は世界中で親しまれてきました。

また理屈やら理論やらとは程遠くとも音楽に乗せて歌ったり踊るということは幼児期に嬉々として反応するところを見ても、やはり歌が本能にリンクした現象であり行為であると感じずにはいられません。

難儀な講釈やら世界の真理を哲学で並べても子供は泣き止みませんが、やれアンパンマンマーチが流れりゃひまわりのような笑顔を取り戻すんですから歌の偉大さとは計り知れないです。

大人であっても危険を知らせるサイレンが流れれば本能的に反応しますし、音楽や音というのは言語での理解よりも即座に、それこそ熱したヤカンに触れるような反射的な効果があります。

有史以前から紡がれる歌の歴史

歌、音、これらを組み合わせた現代まで多種多様なジャンルとして幅広く親しまれる音楽。

この歌の発明者として中国では葛天氏という古代中国の伝説上の帝王の名が挙げられることがあったりしますが、音楽の起源でいえば先ほどの小鳥のさえずりや鳴き声を真似た、または歩行や石器を作るリズムから生まれたなど、諸説はあれど決定的なことは不明です。

(音の意義というのは、それこそサイレンにも見て取れるように、害獣を鐘の音によって退散させたり、遠くにいる同類に意思を伝えるために音で伝達する過程で楽器が生まれたなど、人間と音の関係は枚挙にいとまがありません。ちなみに楽器でいえば最古の管楽器と考えられるものは約36000年前のものがドイツのウルム近郊の洞窟で発見されています。議論段階でのものであれば43000年前のネアンデルタール人の笛も発見されているほどで、人類と音楽は太鼓から深い関連があったことは確かです。)

そのため、有史、つまり文字で書かれた人類史ではどういった歴史を歩んでいるのかを紐解ければと思います。

どの文化でどの地域でも音楽は古代音楽として紀元前から世界各国で存在しているため、いくつかを抜粋して紹介できればと思います。

世界最古の歌

たとえば世界最古の歌として知られているものには、約3400年前の粘土版にフルリ人の言語であるフルリ語で書かれた出土品が発見されています。このフルリ人は紀元前2300年頃から紀元前1000年頃までの人々です。

粘土版自体は欠けがあり、文字の解釈は明確でないために意見は分かれていますが、この出土品で記載された内容の時点でメロディーパートとリズムパートが存在しているのです。

また、いわゆるドレミファソラシドの全音階もある歌であるという意見が支持されており、紀元前はるか数千年前からもれっきとした歌と呼べるものは存在していたことになります。

中国の歌の開祖

中国では、呂氏春秋という中国の戦国時代末期に編纂された書物であり、紀元前239年に完成したこの文献によると、葛天氏が歌舞、つまり歌や踊りを生み出したと記されています。

これは日本の江戸時代においても、江戸幕府直轄の教育機関である昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)でも教えられていた内容です。

ちなみに葛天氏は歌や舞だけではなく、縄や衣の発明者としても伝えられていました。

葛天氏の氏族は1000人という大規模な人数で合唱して山を振動させ、川を沸き立たせたと記されているため、歌によって自然現象を操作制御しようとしたと考えられます。

葛天氏は伝説上の帝王だったため、歌に言わば呪術的な機能を求めたのかもしれません。そして歌の神秘性に着目することで大規模な歌というパフォーマンスをもってして、自然界は人間によって統制できるということを群衆に知らしめていたとも想像できます。

現在の自然世界が人間によって管理支配されているということからも、古代から人間は自然を手中に収めようという傲慢な思いを抱いていたのでしょう。

けれど自然を制御しようとするということは、自然に幾度も振り回されてきたということにもつながります。自然の災厄を収めようとする思いから、歌という呪術を考案して鎮めようとしたのかもしれません。

古代ギリシアの音楽

古代ギリシアでは、2世紀には完全な形の賛歌が残されています。

セイキロスの墓碑銘という墓石に刻まれた歌詞は、完全な形で世に残っている世界最古の楽曲として貴重なものです。

墓石はトルコの都市アイドゥンのそばで発掘されており、年代は紀元前2世紀から紀元前1世紀頃と推定されています。

古代ギリシアの音楽自体がこれが最古というわけではなく、この墓碑銘よりも古い音楽自体の存在は確認されていますが、完全な形で現存する楽曲はこれが最も古いです。

墓石には訳すと以下のような意味が刻まれています。

「わたしは墓石です。セイキロスがここに建てました。決して死ぬことのない、とこしえの思い出の印にと。」

音楽で再現すると以下のようになります。

ちゃんと楽曲として聴けるのがすごいというか感動しますね。

この楽曲は古代ギリシアの音符による旋律で指示がされています。

ちなみに墓石下部に刻まれた献辞によると、「セイキロスよりエウテルペに」と記されています。これはセイキロスという人物が自身の妻にこの楽曲をつくったと考えられています。

音楽の起源は謎に満ちている

ほかにも紀元前20世紀以上前のキクラデス諸島のキグラデス文明の洞窟からフルートやハープを演奏する人物の石像が発見されているといった話や、古代ペルシアでは紀元前3500年から紀元前644年のエラム時代の遺跡から音楽と考えられる像の出土、メソポタミア文明では紀元前20世紀頃の粘土版を解読したところ音楽の演奏法とみられるものが見つかるなど、世界中で紀元前から音楽の文化は存在していた形跡があります。

しかし、音楽の生物学的な起源はいまだ謎だとされています。

進化論を提唱したダーウィンは歌唱のうまい生物が異性に好まれるという優れた遺伝子を示すための表現だとする性選択説を提唱していますが、遺伝的研究分野において音楽の起源は未発展であり、仮説の域を出ません。

言語から歌が発生したと提唱する人物はルソーやスペンサー、ヘルダーなど複数の哲学者によっても提唱されていますが、歌というのはそもそも生物にとって希少な存在です。

言語として歌のような鳴き声をさえずる鳥類はいても、発声を応用して歌として発する種は実は生物上かなり稀なことです。

それは人と近しい動物である霊長類を見てもわかるように、霊長類で歌う種というのは多くありません。人と近しいサル類の彼ら彼女らですら歌うという行為がポピュラーでないため、人が独自の進化の過程において獲得した能力が歌だと考えられます。

(ちなみに生物では鳥類や海獣類にわずかに歌う種が存在することが確認されています。)

生物として独自の機能である歌。人間にとっては当然のように一般に普及している文化であり、だれもが声を使えば上手い下手の差異はあれど拍子と節をつけて歌うという行為は可能です。

これが地球上の生物でも特異だというのはユニークであり、人類が特殊な存在だと改めて感じられることでもあります。

歌うとどうなる?

ではなぜ人は歌うのか。なぜ人は歌を聴くのでしょうか。

生物の中でも特異であり、人間のお友達おさるさんでも全然歌わないのに、人間生物はなぜ紀元前から、もっといえば数万数十万年単位以前から歌をかけがえのないものとしてきたのか。

それは歌が人間にとって特別なことだからでしょう。生命として存続するためになにかしら有益なものであるために石器を叩いてた頃から現在まで脈々と歌唱してるわけで、歌の効果効能とはいったいなんなのでしょうか。

ストレス解消になる

まず、歌唱している側からすると、歌うとストレス解消になるというメリットがあります。これは歌うことで口周りの筋肉を使うこと、そして副交感神経というリラックス状態に切り替わる神経が優位になりネガティブな感情から解放されることでストレス解消につながります。

試しにストレスホルモンであるコルチゾール量を唾液から摂取したところ、歌った後ではこのコルチゾール量が減少していたといいます。

ここで興味深いのは、歌が好きな人だけでなく、歌が嫌いな人ですら歌うことでストレスホルモンが減少したのです。歌が嫌いで歌ったらストレス上がりそうなもんですが、歌嫌いな人が歌ってもストレス解消できてるという実験結果はかなり面白いです。

嫌いな歌歌ってリラックスするというのは、運動嫌いな人が運動することでストレス解消や真理歴な疲労回復をもたらすのと似ているかもしれません。

嫌でもなんでもいいから肉体を使用することで精神に変化があるというのはシンプルな構造ですね。精神とは脳科学的に見て脳の活動やら伝達物質の働きが原因とも考えられますし、気持ちというのは身体動かせばどうにでもなるというのが歌うという行為からも見て取れるといったところ。

(脳が精神を作り出している、というか精神が脳の働き自体であれば、心と呼ばれるものは心臓付近を示すより頭を指した方が位置的には正しいでしょうが、それこそ心、つまり気持ちの面であまりスッキリしないジェスチャーなのでしょう)

幸せホルモンが増える

また、歌うことで副交感神経が優位になるだけではなく、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンやドーパミン、エンドルフィンなどが分泌されます。

これらは精神安定効果があります。つまり、幸福感や満足感につながるのです。この幸せホルモンや運動やバランスのとれた食事でも増えますが、歌うことでも増えるのです。

歌がなんとなくハッピーなものであるのは、なんとなくではないのです。肉体の内側で変化があり、その変化が精神に影響を与えた結果ハッピーになるのですから、太古から歌が必要とされていたのは人間生物にとっては当然と言えるのでしょう。

健康効果がある

また、内面的な効果があるだけではなく、見た目にも効果があるというとんでもない力まで秘めている歌。

なんと美容効果まであるのです。歌えば若返るなんてもはや呪術の域に達していますが、科学的には歌うという運動によって肉体に変化があるという話です。

まず歌うと唾液が多く分泌されるため、感染症の予防や口臭予防、さらに虫歯予防につながります。

また、歌詞や音程を覚えるという行為は脳の活性化につながります。脳を活性化すれば認知症などの予防にもなるのです。歌うことで全身の血行も促進され、免疫力が上がり生活習慣の予防になりますし、発声によって喉や腹を使うとトレーニングにもなるなど、歌うだけでそんなにメリットがあるのかと驚かされるような身体変化があります。

また、美容効果でいえば口の周りの表情筋を動かすことになるため、たるんだ肌を引き締めて小顔効果やほうれい線の防止、リフトアップなど若返り効果まで期待できます。

顔の筋肉を動かせば動かしただけ顔の代謝が上がって肌のターンオーバー、つまり肌の細胞の生まれ変わりを促進して見た目的な若さにつながっていくなど、嬉しい効果ばかり。

ボーカリストが若々しいのはスポットライトを浴びた華やかな主役だからというだけではなく、活動自体がそもそもアンチエイジングにつながっているということでしょう。ミュージシャンは驚くほど若いルックスを保っている人も珍しくなく、それは気持ちの面で若いゆえに老けにくいということもあるでしょうが、行動が若さに直結しているというのは興味深いところ。人間は変化や行動をしなければその分老けていくので、ミュージシャンは若さの塊とも言えます。

歌を聴くだけでも効果がある

歌を歌うのは肉体運動であり肉体に変化を及ぼすのはある意味で自然ですが(動けば痩せるというくらいシンプルな話)、歌は聴くだけでも効果があります。

というか歌唱するよりも聴く方が多いでしょうし、歌は歌った人間のためだけでなく聴衆がいて成り立つというのも歌の特徴。

歌を聴くことで、耳から入った情報は脳へと伝わります。

脳に伝わるとどうなるのか?

全身に影響を及ぼすのです。

自律神経系に作用して興奮、または鎮静させます。これは聴く音楽の種類によるでしょう。リラックスしたい場合は穏やかな音楽を聴くのがいいですし、トレーニングの際に激しい音楽を流すと効果的なのは興奮作用を利用しているから。

また、近くや認知、感情を活性化させるということも判明しているので、音楽は聴くだけでも肉体に影響を与えるということです。

これらの効果は音楽を構成するテンポやリズム、メロディー、ハーモニー、音の高さであるピッチなど、曲自体を構成している要素によって人間が誘発される感情も異なります。

また歌詞の存在も重要です。どういったメッセージを載せられているかで解釈は変わり、誘発される感情は異なります。

また同じ楽曲でも受け手によって解釈が変われば誘発される感情は変わるため、個人によって心身への影響が異なるのは音楽のユニークさの一つでしょう。(ハードコアが子守唄なんて人も、愛の歌が嫌悪の対象という人だってそれは個性です)

歌を聴くというのはそれだけで効果がありますが、その効果が人によって千差万別というのは歌が文化として太古から今日まで受け継がれている理由の一つと思わざるをえません。

脈々と受け継がれてきた歌の歴史

生物としても珍しく歌とともに共存してきた人類。それはコミュニケーション手段として必要不可欠だったのかもしれませんし、生命力を育み、生き残りやすくするための生物学的なメリットがあったからこそ発展したという歴史があるとも想像できます。

いまだ判然としない歌の進化の歴史があれど、歌が人類にとってプラスになるものだということは間違いありません。今後も歌を歌うことはなくならず、歌を聴くことも必要とされ続けていき、人類の存続とともに歌はあるでしょう。

歌うことも聴くことも生活の一部としていれば、シンプルにそれだけで豊かになりますからね。