キング・オブ・ポップの再来!「ブルーノ・マーズ」を解説

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みんな大好き王道R&B。ゆえに世界を股にかけた世界のスター、彼こそはピーター・ジーン・ヘルナンデス!

という本名だといかにスーパースターでもピンとこないでしょうゆえに、ギネス世界記録2つとグラミー賞17度に輝いた方の名前であるブルーノ・マーズを紹介しましょう。

ちなみに彼がなぜ本名とまったく関係ない名前になったこというと、プロレスラーのブルーノ・サンマルチノという人物と似ていたことから2歳の頃にブルーノと呼ばれました。2歳の時点でプロレスターに似ていたのかというツッコミも入れたくなりますが。

類稀なメロディ・センスと美声は音楽界のみならず世界中のピープルを魅了倒し、甘いルックスとやたらと開襟したシャツも素敵な彼の経歴とはいかに?

ブルーノ・マーズとは?

アメリカはハワイ出身のピーターことブルーノは、アメリカはハワイ州ホノルル出身のシンガー。彼の音楽センスはどうやって培われたのか、その一つは両親の影響が多分にあることでしょう。

プエルトリコ系ユダヤ人の父親は打楽器奏者であり、スペイン系フィリピン人の母親はフラダンサー兼シンガーという音楽の遺伝子が両者からガッツリバキバキに受け継がれているブルーノ。

生まれ持ってのミュージシャンなだけでなく、ブルーノ自身も幼少期から両親の影響もあり芸能活動を行なっていました。キッズ時代から業界人だったというわけですね。何気にセックス・アンド・ザ・シティで一躍有名になったサラ・ジェシカ・パーカーの映画にちょろっと出演していたりもしています。

映画やらテレビにも出ていたという彼ですが、出演方法がエルヴィス・プレスリーの真似をするというキュートを具現化したようなエンターテインメントを披露していたのが、後のキャリアに少なからず関わってくることでしょう。

幼少期から生粋のエンターテイナー

人を楽しませるというのがアーティストのキャリアには重要になってきますからね。

ちなみになにゆえエルヴィス・プレスリーという世界の偉人でありながらけっこう渋いチョイスを子供のブルーノくんがやってのけたかというと、叔父さんの影響だったのです。

というの叔父はパーカッション奏者でありプラスでエルヴィス・プレスリーのモノマネ師という独特なキャリアの持ち主だったため、ブルーノ少年も叔父と一緒に地元ハワイのステージでエンタメやってたわけです。

モノマネだけでなくエルヴィスの楽曲も歌唱して披露しており、シンガーとしてのキャリアも幼少期からスタートしていたわけですね。

音楽の嗜好

また、家族の影響もあってのことでしょう自宅ではマイケル・ジャクソンやエルヴィス・プレスリーの音楽が流れていたので、無意識のうちに世界を魅了するメロディセンスを培ったいたということでしょう。

以降は成長するにつれてさまざまな音楽に関心が移っていき、他ジャンルの音楽に触れていきます。

レゲエやロック、R&B、ヒップホップなどを好んで傾聴しきます。さらに彼はただ聴くだけではなく、自ら楽曲制作も行うようになります。

子供の頃から自身の関心のある楽曲をミックスして、後のキャリアにつながるような音楽スタイルの基礎を形作っていきます。

高校卒業とともにアメリカ本国へ

実際に子供の頃からステージに上がって脚光を浴びていただけでなく、作詞や作曲も行なっていたので、合算すれば音楽キャリアはいったい何年になるんだというスタートの早さですね。

18歳からキャリアスタートしてロックスターになった人もいれば2歳から楽器やってる人もいるので、一概にスタートのタイミングがすべてを決めるとは言い切りませんが、それでも早いに越したことはないでしょう。

ある分野でスキルを磨いて1流のプロとして自他ともに認められる時間基準として、1万時間の法則というのがあります。

これは1万時間の練習や学習の上で初めてエキスパートたりえる技術力が手に入るという目安の話ですが、1日3時間で10年かかる計算になるので、幼少期から音楽の素養を深めるインプットとアウトプットを同時進行で行なっていたブルーノが若くして才覚を発揮するのは自然な流れだったのでしょう。

そんなブルーノがエンターテイナーとして活躍する野望と希望を抱くことは自然であり必然だったのかもしれません。高校卒業と同時にハワイ島から本国アメリカの大陸にわたって音楽業界に突入しました。

2003年にロサンゼルスに意気揚々と進出したブルーノですが、その名を知る者など世界であんまりいない彼をもってしても、当時は順風満帆なスタートとはいきませんでした。

当初はレーベルと契約するのも簡単ではなく、焦りばかりが募っていたのです。表舞台で活躍するには時間がかかり、それまではアーティストに楽曲提供をしたりと裏方仕事で経験を積んでいきました。

ステージ上でスポットライトを浴びるハンサムなシンガーの印象が現在では当然になっている彼ですが、キャリアの初期は作曲がメインだったということですね。

プロデューサーチームとしての活躍

ちなみに音楽制作は1人で行なってたわけではなく、プロデューサーチームの一員であったブルーノ。ザ・スミージントンズには当初アリ・レヴィン、そしてフィリップ・ローレンスの3人体制でプロデューサー業をやっていました。

なかでも現在のパートナーであるシンガーソングライターのフィリップ・ローレンスとは下積み時代からのプロデューサーチームの仲間です。

フィリップ・ローレンスは以降のブルーノのヒットソングだけでなくさまざまな歌手の世界的な大ヒットシングルを生み出していますが、これはブルーノ・マーズも所属していたザ・スミージントンズというプロデューサー・チームの功績なので、ブルーノ自身もヒットメーカーの側面があるというのは見過ごせません。

ちなみにフィリップは後に結成するブルーノのバンドであるザ・フーリガンズではバックアップ・ヴォーカルをやったりとバンドでも主要人物になっているので、ブルーノのそばでノリよく動き回ってるメガネ姿のフィリップの姿は印象的です。

裏方として試行錯誤し合っていたブルーノとフィリップは、一緒にヒットソングを生み出すだけでなく表舞台でも輝くことになるとは。

表舞台への下積み

とはいえ裏方のプロデューサーとしてではなく、煌びやかなスポットライトを浴びるステージの主役としての顔がブルーノには似合うのではないでしょうか。というかそのイメージしかない人が多いのではないかという話。

彼自身はクレヨンしんちゃんくらいの身長の頃からエンタメでギャラリーを沸かせてたんですから、裏方としての大成よりもエンターテイナーとしての脚光を求めていたのではと想像します。

裏方から表舞台へ転身したスターといえばあのカニエ・ウエストも同様ですが、意外と下積み自体が小さなライブハウスだとかじゃなく制作業がメインだったというスターの顔ぶれには驚かされますね。なんだかんだいえばオアシスのお兄ちゃんも元々は裏方からキャリア始めてますし。

まあブルーノは前述したようにプロデューサーチームとして活躍しており、その成功が彼の下地となっているのは言うまでもありません。

2009年にはアメリカのラッパーのフロー・ライターの楽曲「ライト・ラウンド」が超絶大ホームラン。

全米総合シングルチャートビルボードHot100では6週連続1位という満塁の特大をかまし、さらにはイギリスやカナダ、オーストラリア、アイルランドでも軒並み1位をかっさらいました。

これでプロデューサーチームのザ・スミージントンズは一躍人気チームとなり、いよいよ次の年には彼がチームの一員としてではなく、シンガーとして人気者になるのです。

表舞台での華麗なデビュー

2010年にはついにだれもが知るブルーノ・マーズ名義で歌手デビューを果たします。

そしてラッパーのB.o.Bの「Nothin’ On You」に参加してこの曲が全米1位を獲得、トラヴィー・マッコイの「ビリオネア」にも参加してこれまた全米4位に食い込み、シンガーとしてのブルーノ・マーズの存在感をメキメキと世界に知れ渡らせていきます

客演でありながらMVにもガッツリとイケメンフェイスで堂々と映り込み、同年には待望の自身のアルバム「Doo-Wops & Hooligans」をリリースします。

この中に収録もされていて、かつソロのシンガーとしての1stシングルでもある「Just the Way You Are」は全米1位を4週連続で記録する大ヒットをかまし、彼はブルーノ・マーズとして世間で成功した歌手と相成ったのです。

ちなみに「Just the Way You Are」を思いつくのには数ヶ月を要し、エリック・クラプトンの楽曲などに影響を受けて作成したという本楽曲。ザ・スミージントンズのプロデュース力が高く評価されることにもなったので、ブルーノ単体としてもチームとしても大きな功績を挙げた一曲となりました。

その評価は賞という形でも顕著で、アメリカレコード教会からは13回のプラチナ認定、第53回グラミー賞では最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞しています。

さらにリスナーだけでなくミュージシャンにも多大な影響を与え、多数のアーティストにカバー曲として歌われるという、まさにいろんな方面でブルーノフィーバーが巻き起こったのです。

以降もアルバム「Doo-Wops & Hooligans」「Unorthodox Jukebox」「24K Magic」をリリースしてすべて全米トップチャートの3位に名前を刻んでおり、2014年にはアメリカンフットボールNFLのハーフタイムショーに史上最年少で出演しただけでなく、史上最高の視聴率まで記録しています。

ちなみにNFLのハーフタイムショーといえば全米で1億人以上試聴するといわれるショーで、フットボールの決勝戦そっちのけで行われるミニコンサートです。著名なミュージシャンが出演して大々的に披露される異次元のショーですね。ビートルズのポール・マッカートニーが2005年のハーフタイムショーを任されたとき「スーパーボウルのライブ頼まれるほど名誉なことはない」と言ってるくらいなので、どんだけ凄いショーなのかが窺い知れます。

それの最年少記録と最高視聴率記録をぶっ叩いたブルーノ・マーズの凄さよ!!!

自身でも楽曲プロデュースやっちゃって美声も世界を虜にするということで音楽会の宝扱いされるブルーノは、あのマイケル・ジャクソンの再来とも表されるほどの稀有な存在となりました。

ザ・フーリガンズ

そんな世界的スーパースターとなったブルーノにはとある音楽チームが支えを担っています。それがザ・フーリガンズです。

ザ・フーリガンズは裏方下積み時代からのフィリップ・ローレンスも所属しており、アルバム制作からライブパフォーマンス、さらに演奏ではほとんどのメンバーがバックコーラスを担当するだけでなく、各メンバーがギターやドラム、ベース、サックスなど楽器も担当するというまさにブルーノと一心同体のチームです。

ちなみにドラマーのエリック・ヘルナンデスはブルーノと特に深い関係にあります。ザ・スミージントンズ時代からのフィリックよりも長く深い関係です。どういうことかというと、ブルーノの兄貴です。

つまりブルーノ・マーズの兄弟です。

なんだそのぶっとび遺伝子はといった感じですが、ブルーノの兄弟はみんな音楽業界に携わっているという話なので驚くことではないのかもしれません。いや兄弟みんな音楽業界に携わってること自体が驚きです。

両親の音楽の才能の濃さよ。

とはいえ兄貴のエリックはずっと音楽人だったわけではなく、じつは警官でした。しかも10年以上警官やってた兄貴をブルーの自身が「ドラマーとして一緒にツアー回ってほしい!」と頼んで、兄貴がサポートすることになったのだとか。マジか。

エリック自身はこのブルーノの誘いに対して、「警官を辞めずに弟のバンドに参加せず、別の人がドラマーやってるのを見たら絶対に後悔すると思った」とローリングストーンのインタビューで語っています。

そりゃそうだろ。

英断です。

世界を魅了し続けるスーパーアーティスト

トータルセールスシングル1億7000万枚以上、アルバム2600万枚以上、グラミー賞を総なめにして、甘い歌声と作詞作曲のメロディセンスが光る名プロデューサー、何気にギターやピアノやドラムなど楽器も弾きこなせるスーパースターの輝きは、これからも音楽業界のみならず世界を眩しく照らし続けるでしょう!

彼の楽曲に触れて人生にポップな彩りを加えてより充実した日々を送ってくださいな。