歴史上最も成功したロックバンドのリーダー「ジミー・ペイジ」とは?

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早死にするのがロックスターの証なんてことはまったく毛頭無く、そんな幻に惑わされずカッコいいものはカッコいいし良いものは良いと見抜けるのが価値観であり個であるとは思います。

演奏してようがしてなかろうが80歳手前でも魅力的な存在であることは偉大極まりなく、27歳で亡くなることをステータスみたいに感じるのは努力も才能も運もなにもない証でしょう。

名を残すために27クラブになんて入れるわけないですし彼ら彼女らも名を残すために27で他界したわけでもないでしょう。天才でも27歳で死ぬ決まりなんて無い。

御歳78歳、英国3大ギタリストはその1人に数えられ、歴史上最も成功したアーティストの一つであるレッド・ツェッペリンのギタリストでありリーダー。

今回はジミー・ペイジについて紹介していきましょう!

ジミー・ペイジとは?

3大ギタリストでかつツェッペリンを作った人という時点でミラクルな人ですが、それぞれについても触れつつ人生を振り返ってきましょう。

1944年1月9日、イギリスはミドルセックス州ヘストンに生まれたジェイムズ・パトリック・ペイジ。

彼の音楽体験での革命的出来事は、かの偉大なロックスター、エルヴィス・プレスリーの曲に触れたことからスタートします。

「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」でエルヴィスの歌声に、ではなくギタリストのスコッティ・ムーアのプレイに感動してギターの魅力に取り憑かれました。

スコッティ・ムーアはプレスリーとともにロックンロールミュージックを形作っていったギタリストであり、ペイジ少年は感動そのままに新聞配達でコツコツ稼いだお金でギターを購入しました。

飽くなきギター情熱

彼はギター自体も好きだったようで、フェンダーやらギブソン、グレッチなど代表的なギターメーカーの一品を収集していきました。

とはいえロックギターの音色だけに固執していたわけではなく、音楽にはさまざまなものに触れていきます。ペイジの出身国であるイギリスには「好奇心は猫を殺す」ということわざもありますが、彼の場合は好奇心が音楽的才能を活かしたことになったようで素晴らしい限り。好奇心が無い方が魂自体が死滅すると思いますが。

彼はロックンロールの洒落たギターはもちろん、ブルースやクラシックまであらゆるギタープレイを耳にしていました。オタク的な、というか思いっきりギターオタクな彼だからこそ後のキャリアの礎が若き日に作られたということでしょう。

実際に3大ギタリストの1人ジェフ・ベックの実姉から「アンタと同じようなオタク知ってるわよ」と言って2人は出会い、意気投合しています。ジミー・ペイジのみならずジェフ・ベックも同様にオタクだったのは偶然ではないのでしょう。並々ならず情熱が才能を育み、そもそも情熱自体が才能ともいえます。

努力で手に入るものはたくさんありますが、内から沸き起こる熱意は努力で手に入るとは言えず、物心ついた頃から生涯を通して熱中するものを有しているのは、宗教的に言えば神様からのギフトです。

15歳でプロデビュー

その熱意と努力を併せ持てば、彼のように若くしてプロのギタリストとしてデビューすることができるのでしょう。

若いと言っても若いどころではなく15歳でプロデビューしています。やっぱり才能ありまくりじゃないですか!

そのため彼は学校に通いながらセッションのギタリストとして多数の仕事をこなしていくという英国を代表するギタリストに相応しい少年期を送ります。そりゃ当時から将来を有望されていたことでしょう。

ギタープレイは好評で、さらにプロデューサーとしても活躍していたということで、彼が熱心に音楽を試聴しギタープレイに向き合っていたことがセンスを磨いたのはもちろんでしょうが、にしてはめちゃくちゃ早熟過ぎる。

ヤードバーズへの加入

彼のギタープレイは評判が評判を呼び、とあるバンドから声をかけられます。

それがヤードバーズです。このヤードバーズはとにかくぶっ飛んでおり、ペイジが声をかけられたのはギタリストのエリック・クラプトンが脱退したため。

で、このエリック・クラプトンは、3大ギタリストの1人です。つまり超絶有能なギタリストの後釜としてペイジは誘われたことになります。

しかしペイジは、なんとジェフ・ベックをギタリストとして推薦しました。3大ギタリストが混じり合うとんでもないバンドです。

ちなみにペイジはジェフ・ベックを推薦した理由は、クラプトンと友達だったため気を遣っただの、セッションの仕事が忙しかったため、はたまた稼ぐことのできるスタジオの仕事を辞めたくなかったなどいろんな話がありますが、とにかく強力なギタリストであるエリック・クラプトンの穴を埋めるために腕利きのギタリストに声をかけたら、別の凄腕を紹介してくれたというとんでもない連鎖反応を起こしてジェフ・ベックがギタリストとしてヤードバーズに参加します。

しかし今度はヤードバーズからベーシストが抜けたため、なんとベックはギターではなくベース担当で1966年6月にヤードバーズに加入します。なんでなんだ。

とはいえそれからはベックはジェフが体調不良になったときにギターを代役しており、それからジェフとツインでギターを担当することになります。

レッド・ツェッペリンの母体となるヤードバーズ

ヤードバーズは活動を続けていくなかで、人間関係がギクシャクとし出します。良くも悪くも天才肌なジェフ・ベックが「こんなバンドやってられるか」とブチギレでバンドを脱退し、さらにほかのメンバーとも音楽性がズレまくって険悪な関係となり、ヤードバーズは1968年にバラッバラになります。

しかしペイジはガッタガタになったヤードバーズを解散させることなく、なんとか立て直そうと頑張ります。

ヤードバーズに加入した理由が、スタジオでセッションミュージシャンとしてではなく、ライブ演奏をしたかったのがきっかけでもあったようなので、簡単にバンドを壊したくなかったのかもしれません。

その熱意が後にとんでもないバンドを生み出すきっかけになります。とんでもないどころか音楽業界を変えたきっかけともいえるようなバンドになるので、本当に洒落にならないスタートをペイジは切ったのです。

歴史上ガッツリ名を残すバンドとして新しいヤードバーズを再建する必要があったわけですが、メンバー抜けまくりの現状をどうにか打開すべくペイジは友人たちに声をかけます。

そして集まったのがロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムです。もうツェッペリンやん。とはいえメンバー集結当時はミュージシャンとして音楽業界で知られていたのはジミー・ペイジのみで、ほかのメンバーが有名になるのはまだ先です。世界一のドラマーとして名を馳せるジョン・ボーナムなんてロバート・プラントと一緒のバンドにいたってだけで田舎からやってきたという状態だったわけで、ここから偉大なバンドになっていくというのも考えられない話です。

とにかくリスタートしたジミー・ペイジは、当初は伝説のヤードバーズを一新したということでニュー・ヤードバーズとう名前でアトランティック・レコードと契約をして、自由な楽曲制作をスタートします。

かなり自由に作っていたからか批評家からの反応は芳しく無く、順調にスタートしたとはいえませんが、結成した年からツアーを敢行したところ観客の反応はよく、また演奏もバンドが満足するだけの出来でした。

そのため、ヤードバーズという名前のネームブランドを使おうと考えていたペイジですが、そんな必要はないということでバンド名を改名します。それがかのレッド・ツェッペリンです。

ファーストアルバムから全英2位、全米5位を記録し、斬新なハード・ロックは世界を震撼させます。
彼らは鉛の気球のように急降下することどころか急上昇して、世界一売れたロックバンドに成り上がっていくことにるのです。

ツェッペリン解散後

世界を股にかけて活躍し、日本に来日した際は広島の平和祈念資料館を訪れ、涙を流しながら戦争の愚かさを語ったペイジ。
その後完全な慈善公演を広島市役所で行うという新日っぷりを発揮した後に、大阪の宿泊先で酒に酔って日本刀を振り回し掛け軸など美術品をぶった斬り回して数百万以上の損害をかますという世界一のロックバンドに相応しい暴れっぷりを披露するなど、順風満帆な活動は世界地のドラマージョン・ボーナムの死によって停止します。

12年の活動期間の後、ペイジはソロ活動を開始します。
コンサートではエリック・クラプトンやジェフ・ベックとも共演したり、元レッド・ツェッペリンのメンバーと共演をしたりと、精力的に活動。

また、活動休止後もメンバーが集まって再結成ライブも何度か行なっており、1985年には1億人の飢餓を救うべく行われた20世紀最大のチャリティコンサート「ライブエイド」にはレッド・ツェッペリン名義で参加しました。

2015年にはプロモーションの活動のために来日した際、44年ぶりに広島を訪れて原爆ドームや平和記念公園へも訪問しています。

・音楽への深い造詣
あらゆる音楽を取り入れてきたというジミー・ペイジ。その多様さは昔からのレコードコレクションにも現れており、インド音楽やクラシック、アラビア音楽まで触れていたため、音楽というものに対する興味関心がどれだけ広く深いのかが窺い知れます。

また、アコースティックギターの演奏は自身で弾くことも聴くことも好んでおり、そのジャンルもフォークやクラシック、ブルース、ジャズなど様々。

演奏的な影響はいくらでもありますが、50年代のシカゴのリフからは特に影響を受けているというペイジ。

ギターへの興味を抱いたのがエルヴィス・プレスリーの楽曲からということもあってか、ロカビリーに傾倒していた時期もあります。

若くしてプロデューサーとしても手腕を発揮していたペイジは、下地に豊かな音楽体験があったことは大きいのでしょう。

ギタリストとしての特徴

3大ギタリストの中では特にテクニックで有名になったギタリストでは無く、バンド形態の中で最も光ったのがペイジです。そのためソロであればジェフ・ベックやエリック・クラプトンの方が目立ちがち。

とはいえ作曲能力やリフ作りでは彼の右に出るものはおらず、サウンドのキャッチーさやロックバンドらしい音作りは後のアーティストに多大な影響を与えており、たとえばニルヴァーナやオアシス、クイーン、ブラック・サバス、レッド・ホット・チリペッパーズなど枚挙にいとまがありません。

ハードロックの歴史をスタートさせてヘヴィメタルにまで大きく影響を与えた音を生み出したレッド・ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジは、演奏スタイルにもかなり特徴があります。

ブルースを基本としてカントリーやフォークソングなどを参考にしつつ、アコースティックギターの演奏力も高いペイジですが、ライブでの演奏は良くも悪くもロックになるのが彼の特徴。

というのも、立って弾く場合ストラップを使ってギターを腰よりも低い位置で演奏するため、一番低かったときには膝の位置くらいまで下げていました。これじゃあ手を伸ばしても届くか届かないかギリギリなため、演奏に適しているかといえばもちろんノーです。

そのためライブでの演奏時はたしかに様になる格好なのですが、演奏自体がメチャクチャになってミスもしまくるのがペイジの特徴でもあります。
明らかに弾きにくいスタイルでルックス重視でやっているから仕方ないのですが、そのせいでミスりまくってしばしば「ジミー・ペイジは演奏が下手だ」と言われます。

しかしスタジオでちゃんと座って弾いたら、15歳からプロのセッションギタリストとして活躍していたように、当然たかい技術力を持っていますしギタープレイの幅も広いです。

まあそれでも技術的にレベルが高い人なんていくらでもいますが、音楽は技術を競うものではないので、音楽的な才能で言えばもちろんジミー・ペイジはトップレベルのギタリストであることは間違い無いのでしょう。

リーダーでありプロデューサーでもあるギタリスト

ギターを使えば多種多様な音楽体験と興味関心によってどんな音でも生み出せるジミー・ペイジ。
さらに偉大なバンドのリーダーでもあり、プロデュースの力も持っているという音楽の才能にあふれた人物。


ギタリストとしての活動のみならず、レッド・ツェッペリンの大黒柱としてハードロックのサウンドとグルーヴを生み出した彼の功績は以後も語り続けられていきます。