地獄を生き抜いた世界一のラッパー「エミネム」の人生

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マーシャル・ブルース・マザーズ3世についてと言われてあまりピンとこないかもしれません。

ですが通称であれば世界中だれでも知ってると言っても過言ではない著名っぷりに変貌します。

エミネムです。

本名との差が凄まじすぎるだろうという話ですが、実はちゃんとステージネームであるエミネム自体も本名からきているというので、マーシャル・ブルース・マザーズ3世はまったくの無関係ではありません。

本名のイニシャルである「M&M」を早口で言ったらエミネムになったということなので、ちゃんと生まれた時の名前は大切にしておきたいところ。にしてもピンとこなさすぎる。

あとは別名でいえばスリム・シェイディという名称もエミネムの楽曲に触れた方なら存じていると思いますが、こっちについても話していければ。

そういうわけで今回は史上最も売れたー男性ラッパーとして名高い彼について紹介していきましょう。

エミネムとは?

1972年10月17日生まれで2022年には50歳になるエミネム。50歳になるのエミネム。

全世界でアルバムとシングルの販売記録は2億2000万以上と超ワールドクラスな彼は、受賞履歴も華やかでグラミー賞は15回、アカデミー賞も1度受賞しています。

また偉大な記録としては、ビルボード200でアルバムを10枚連続で第1位で登場させた唯一無二のアーティストでもあります。

名実ともにスターダムを突っ走ってきた彼ですが、半分自伝映画ともいえる映画「8 Mile」でも描かれているように、幼い頃はかんなりの劣悪な環境で過ごしました。

幼少期にひどい経験をすればビッグなアーティストになれる、なんてことは冗談でも言えることではありませんが、過酷過ぎる体験を乗り越えることで人並み以上のスーパー能力を発揮することは間違いではないのではないでしょうか。

(昔ジャンプの読み切り漫画で読んだ、致死量の猛毒を身体に注入して、その毒に耐えた人間のみが超人的な能力を解放するというストーリーを思い出します。マジでアーティストの人生はこれに匹敵するというかまんま近いような才能の発揮の仕方に思えてならない)

そんな致死量の猛毒体験ともいえるエミネムの幼少期はガッチガチに過酷で、アメリカはミズーリ州のセントジョセフの超絶極貧環境という幸運から見放されまくったくじ引きでこの世に誕生します。(後の成功を考えれば大幸運かもしれませんが、それは彼だからこその話。ふつうなら耐えられんでしょう)

劣悪な家庭環境

まず父親に捨てられます。当たり前のように家庭環境は終わってます。ちなみに父親はエミネムが生まれて6ヶ月後に離婚して去ってるので父の面影なんざ知るよしもないでしょう。くわえて母親からもボロカスに大事にされずに育ちました。よく育ちましたね。育ったと言えるのかどうか怪しいエピソードが続きますがねここから。

でもって彼は家庭外で居場所があればまだマシだったんでしょうが、12歳まで母親とともに2、3ヶ月スパンで引っ越しを繰り返す生活を送っていたこともあって、なかなか友達はできませんでした。

いわゆる親の都合による転校生的な感じならまだ微笑ましいですが、母デビーはなんと仕事に就いてません。

「は?」という話ですが、彼女はミシガン州とミズーリ州を行ったり来たりして生活していましたが、それは親戚の家を行ったり来たりして生活していたからでした。

家庭環境が終わり過ぎている。

ちなみになんで母親が働けていなかったかというと、母親がミュンヒハウゼン症候群という精神疾患で苦しんでいたからだといいます。

それを2002年に自身の楽曲「Cleanin’ Out My Closet」で歌ってるということで、エミネム自身が母親の精神のぶっ壊れっぷりには辟易したことでしょう。歌にのせておかんの狂いっぷりを世に伝えるってのもすごいですね。

このミュンヒハウゼン症候群は、周りから注目されたり関心を引き寄せるために、ありもしない病気をでっちあげたり自傷したりするそうです。ヤバい人間ってのが1発で伝わる症例過ぎて笑えません。

父親との関係も最悪

この体験だけでもエグいですが、というかこの母親がエグいからかエミネムは子供の頃に父親に手紙を書いたり、お父さんの叔母の家を何度も尋ねたりしていましたが、叔母からはぜんぜん相手にされませんでした。

父の元を訪ねようと会いたいと思っている息子のことをスルーしまくり、スルーされまくったエミネムはどれだけ心に深い傷を負ったことでしょう。

後のインタビューで彼は「父親に会いたいとは思ってない」と語っています。そら幼少期の経験がそんなんだったら会いたくないに決まってるだろうがという。

彼がビッグになってからアルバム出して息子の名前を知って手紙を寄越してきたなんてエピソードがありますが、それでエミネムの心が動いたら天変地異でも起こるような話でしょう。

結局息子とは一度の会話もすることなく2019年に父親は亡くなっていますが、2020年に発表した楽曲でエミネムは父親の死についてボッロックッソに批判しています。

歌詞のはじめは「動揺したほうがいいのか?あんたが死ぬ前から俺にとっては死んだも同然だった」です。

そりゃそうだろ。

いじめ

両親ともども過酷な感じだったエミネムですが、家庭環境の劣悪っぷりだけでなく家庭の外でも劣悪というまさに地獄のような日々を送る羽目になっていました。本当によくぞ耐え抜いたというか。

そもそもがいじめを食らう原因になったのが母親の生活保護を受けた激貧しい生活を送って各地を転々とする不安定極まりない生活のため、エミネム少年は性格的にめっちゃくちゃ内向的かつビビりっぱなしの人間性を獲得してしまう結果になりました。

そのため学校では常にターゲットとされることとなったのです。弱者を攻撃対象にするのは生物的にも珍しくないしだからこそイジメなんてものが自然発生的に存在するのでしょうが、まあ褒められた話ではありません。

全方位から被害者であるエミネム少年は嫌がらせレベルではなく、殺人事件になってもおかしくないような暴力まで受けていたのですから。

重いものやらが入った雪玉を丸めてエミネムの当日に向かって豪速球よろしくブン投げて重傷を負わせるという、こっちのガキの親もまあ大概な人間だったのでしょう。

とはいえエミネムの母親は息子に対して愛情がなかったわけではないようで、脳出血を起こして意識がない息子を前に、医者が無理だと諦めモードに入ってるなかでも決して諦めることなく、そして学校を相手に訴訟沙汰を起こそうとしました。

家庭環境に難がありまくりでけっこうな度合い母親のせいでエミネム少年の性格が歪んだとは思いますが、あまりフルで母親を責めるのも違う話ではあるかもしれません。

母親も何も好んで貧困やら精神疾患に振り回されていたわけではないですし、あまり批判しすぎるのはよくないでしょう。

明らかに害悪なのはいじめていた少年であり、その少年に対してをエミネムは心底思うことがあったのは言うまでもありません。(とはいえエミネムに対してわりとひどい仕打ちもやってたということなので、このへんツッコミどころがあるにはありますが)

メジャーデビューアルバムの楽曲「Brain Damage」では思いっきりきじめっこのことを歌詞で綴っています。

そのなかではシャレにならない暴力が書かれていて、トイレの便器に顔を叩きつけられた鼻の骨が折れるなど、いじめなんて言葉で片付けるわけにはいかない内容が記されています。

笑えないことにこのいじめっ子から名誉毀損で訴えられたエミネム。訴えられる前に裁かれてどうにかなった方がいいのはどっちだという話ですが。

クソ過ぎる暴力をイカした楽曲に変換できるエミネムの才能があってこそなんとか見ることができますが。曲カッコいいわな。

理不尽な環境が彼の才能を育んだ側面もあるでしょうがこんな環境マジでエミネム自身望んでなかったでしょうから、活動の原動力として生涯消えることはないでしょう。

8マイル

2002年にアメリカで放映された映画8マイル。エミネム自身の半生を描いた作品のタイトルである8マイルとは、都市と郊外、富裕層と貧困層、白人と黒人を分ける境界線として、作中ではミシガン州デトロイトのボーダーラインとして象徴的に描かれています。

エミネムは黒人ばかりが住む地域で、ほんのわずかな白人として過ごすことで言わば黒人から白人への逆差別といえるような環境でのし上がっていく様が作中では描かれています。

作品についてエミネム自身は、自分のことを自分が主演して演じたわけではなく(8マイルの主演はエミネムが担当しています)、作中のエミネムににた人物を演じたと明言しています。

しかし、ある意味でこれは映画の誇張でもなんでもなく、実際に8マイル・ロードという人種のボーダーラインはデトロイトに存在していますし、内側と呼ばれる過酷な環境にはかつて自動作産業で栄華を誇った都市の廃れた光景が広がり、廃墟が目立ち何もない緑地も点在しています。

エミネム少年は実際にリンカーン中学校に在籍していた12歳頃、デトロイト東部に引っ越したことで8マイル・ロードを歩いて通学していました。

引っ越しをしたときにはリンカーン中学校とは別の学校に転校する予定でしたが、学校でやっと友達ができはじめていたため、転校を拒否して片道3キロほどの道のりを歩いていました。

3キロはあまり大した距離に思えないかもしれませんが、平均歩行距離を4キロとすれば45分かかる計算になるのでけっこうです。しかも片道でそれですからね。

しかも引っ越した先は労働者階級の黒人ばっかりが住むデトロイト地域であり、地区には白人家庭は3軒しかなかったのです。ぜんぜん映画が誇張じゃない感じがしてきます。

そして映画よろしく実際に黒人少年たちから何度も直接襲われていたので、まあ過酷ですわな。

ラップに出会ったエミネム

幼少期や少年期がほとんどネガティブなエピソードばっかりで悲惨さに事欠かない印象のエミネムですが、彼にとって運命的な出会いは叔父のロニーです。

叔父といってもエミネムとは生まれた日数が6週間しか違わないと言うこともあって、数少ない家族と思える存在であり、心を許せる相手でもありました。

叔父のロニーから初めて聴かせてもらったのが、「Breakin’」というブレイクダンスを題材にした1984年公開のアメリカの青春映画のサウンドトラック。

イカした映画のラップ・ソングに触れ、それからはヒップホップMCのLL・クール・Jの影響やRUN・DMC、ビースティ・ボーイズなどラッパーたちの音楽からまるで自分に語りかけてきたとラジオで語ったエミネム。

憧れのラッパーたちのようになりたいと思い、彼はラップにのめり込んでいきテーうんるナプキンやスーパーのレシートにすら歌詞を殴り書きしていました。

母のデビーに言葉の意味を聞くために夜中に声をかけてくるため、辞書を買い与えたことでエミネムは自身で言葉を学んでいきました。

彼のラップの語彙力は神がかっていますが、辞書で地道に学んでいたのだと思うとある意味驚かされるエピソードです。

しかしラップの出会いのきっかけでもあり心を許せる存在であった叔父のロニーに悲劇が。

なんと19歳の若さで自ら命を絶ったのです。当時はロニーと音楽の好みの違いが生まれて2年近くもまともにコミュニケーションを取ることがなくなっていたのですが、エミネムにとってロニーの死はショック以外の何者でもなく、数日間まともに話すことができなかったほどです。

ちなみにエミネムの左腕にはロニーの名前がタトゥーで彫られているように、エミネムの人生にとってかけがえのない存在であることは言うまでもありません。

ラップでのスターダム

1996年には自主制作アルバムが70枚しか売れないという今では考えられないようなところから徐々に上り詰めていったエミネム。

翌年の自主制作のレコードは2万枚を売り上げ、ラップイベントに参加して準優勝するなど少しずつ注目を集め始めていきました。

そしてヒップホップ界でその名が轟くドクター・ドレーに才能を見出されてついに1999年メジャーデビュー。

アメリカのビルボードで最高位2位、速攻で全世界のセールス600万枚超えというスターダームにのしあがります。

今でこそ世界中から脚光を浴びる存在となったスーパースターですが、その裏には過酷なんて一言ではとても表現できない暗過ぎる時間を過ごしていたエミネム。

彼が眩く輝くことができるのは、深い深い闇が裏側にあるからこそでしょう。

光は闇が無ければ生まれません。そして深淵の闇があるのは、決して消えることのない強く気高い光がある証。

極貧と地獄の環境から資産100億ドルをセンスと才能で獲得した彼の偉業は、数々の賞に名を刻みまくるだけでなく、人々の記憶と心に魂から迸るリリックを刻み続けています。