ヒップホップ界隈においてギャングカルチャーは切っても切れない関係であり、まんまギャングとしての生活をリリックにしたら地位と名声と金と女とすべて手に入りましたみたいなドリームを掴んだガチのギャングも数知れず。
とにかくポーズだのファッションでギャングやってるよりは本気で危ない人物が生き様を歌う方がリアリティもメッセージ性もあって良いです。
とはいえ今回紹介する人は、バッキバキの犯罪都市でありギャングの街であり、ヒップホップの伝説的な人物すら生まれたようなエリートな土地で真面目な学生だったというラッパー。
アメリカはコンプトン生まれの現代のヒップホップスター、ケンドリック・ラマー。
12個のグラミー賞に輝いたり、2016年の20代の若さでタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたりとイケイケな彼。
スーパーボールのハーフタイムショーでスヌープドッグやらエミネムと並んで大観衆の前でパフォーマンスやるうちの一人になったり楽曲がとにかくハイセンスで大変素晴らしい彼について、今回は紹介していきましょう。
ケンドリックラマーとは?
1987年6月17日、アメリカはカリフォルニア州のコンプトンにて生まれました。
このコンプトンですがかなりの危険地帯であり、アメリカで最も危険な街なんて不名誉極まりない形容をされるようなところです。
そのままギャングの街なんて言われますからヒップホップ文化もさぞ栄える土壌があって素晴らしいですね。
ということでヒップホップ界で伝説期グループとして知れ渡るN.W.Aもこの街で結成されました。
(N.W.Aはアイス・キューブやらドクター・ドレーもメンバーとして在籍したと、ヒップホップ界でビッグなメンバーが集っていたことでも有名です。ドクター・ドレーとはハーフタイムショーでも共演してますしプロデューサーとしてもラマーと密接に関わってますね)
ヒップホップ文化がそもそもギャングから生まれたものなので、ケンドリック・ラマーがヒップホップで著名になるには打って付けの環境だったわけですね!あんまり冗談にできない話ですが。
というのも彼は幼少期からコンプトンはやっぱりギャングの激しくて荒んだストリート生活ってのが身近にあり、そして危険がすぐそこにあるなかで育っていきました。
一歩間違えれば鉛玉を食らって天国に直行してしまうような環境を遠目から冷やかすのはナンセンスなのでこれ以上はやりませんが、ラッパーとしての素養はコンプトン育ちだからこそ手に入ったといえるでしょう。
ギャング街で育った非ギャングの少年
というのも子供ながらにギャングの街でギャングの激しさっぷりをストーリーにして書き溜め、危険に囲まれた生活のことや、危険の中で見つけたことを伝えたいという思いでラッパーのキャリアをスタートさせました。
やれ金だ女だ名声だなどではなく、表現者として真っ当な思いからスタートしてるあたり彼がギャングとしてやってなかったというのが伝わってきます。楽曲を聴いても暴力的な感じがメインじゃないのはそのへん関係してそうです。
ちなみに彼は真面目なだけでなく勉強もできたので学校を主席で卒業したりと、ぜんっぜんギャングのギの字もないようなクリーンな青年でした。
とはいえ周囲の友達がギャング方向にまっしぐらに進むことも多かったので、ワルな友達には恵まれていたのでしょう。
ラマーが地元に帰るドキュメンタリーのような映像を見た時、友達はキレーにガッツリ不良なルックスでしたから、彼自身がワルじゃなくてもワルが身近な環境にあったのは結果的によかったのでしょう。別にワルを肯定するわけではないですが、ヒップホップの説得力が増すと言う意味で重要な環境下で過ごしたのだと思います。
2Pacの影響
先ほどコンプトンはヒップホップのレジェンドグループが結成された街といって触れましたが、ケンドリック・ラマーにとってギャングの街で育ったことと、そして尊敬すべき先輩方の音楽というのは大きなバックボーンといえそうです。
そのヒップホップの先輩の一人に2Pacがいます。本名はトゥパック・アマル・シャクール、アメリカのヒップホップを語る上で彼の存在は欠かせません。
社会的メッセージや巧みな歌詞、そしてビート感覚、またあれこれ暴力的な逸話もあったりといろんな意味でヒップホップな彼の影響はラマーにとっても大きかったのです。
ラマーが8歳のときにコンプトンのファッションセンターで「California Love」のミュージック撮影をしてるのを生で見て感動したりと美味しい体験をしているのがいいですね。
ちなみにドクター・ドレーとコラボして生まれた曲ですね。
自身が影響を受けたラッパーとしてトップ5を挙げたときにも2Pacの名前が入ってますし、間近で見れたのは一生の思い出でしょう。
ちなみに2Pac自身は突然横付けされた車から銃弾浴びて25歳で亡くなってます。死に方がヒップホップ過ぎる。
(実際これはギャング同士の抗争に巻き込まれたと言われているので、まあギャング文化ですね)
そんな2Pacのことをラマーはアメリカの男性ファッション誌GQのインタビューでも「ケンドリック・ラマーを作り上げた4人のMAC」という質問で名前を挙げているので、いかに2Pacの影響が大きいかが窺い知れますね。
音楽の素養
ラマーは16歳のときは自身で初のミックステープを作成しています。その時点で地元で注目されていたラマーは、そのままインディーズレーベルと契約するに至っています。えらい順調なキャリアですね。
とはいえ彼の世界観を築き上げた下地である幼少期の経験はツッコミどころも満載で、ケンドリック・ラマーの父親はそもそもヤバいギャングと関わりがありました。
そのため、シカゴからコンプトンに引っ越してきたという経緯があるくらいです。どっちもギャングの街じゃないかよって突っ込みたくなりますが。
ギャング勢力の活動が活発で治安も終わってるなかでもラマー自身は先述したようにギャング化することなく、ストーリーを書いたり勉強ができて優秀だったりと、いい意味で周りとは違う価値観や感性、観察力を持っていました。
独特さが彼を暴力の世界に引き摺り込ませず、彼にクリエイティブを与えたというのがアーティストとしての素質だったのではないでしょうか。
16歳のときに初リリースした「Youngest Head Nigga in Charge」には、彼の類稀な周囲のものの見方が反映されているのでしょう。
その着眼点やアイデアがあるからこそレーベルと契約することもできたのです。
ドクター・ドレーとの出会い
ヒップホップの偉人シリーズってな具合に様々な大物アーティストとの縁があるあたりがスターとしての気質を表しているのでしょうか。
とはいえドクター・ドレーと繋がったのはラマー自身の実力なので運がどうとかではないですね。いや運もあるでしょうし大物に見出される実力がある時点でスターの気質があるってことですが!
彼が活動を続ける中でさまざまなアーティストとコラボしたりツアーを回って勢力的に活動している中、ヒップホップでこれまた欠かすことのできない偉大な存在であるドクター・ドレーに高く評価されるに至ります。
ドクター・ドレーとは
ドクター・ドレーは同郷のコンプトン出身のラッパーであり、ヒップホップのサブジャンルの一つであるGファンクを生み出しだした人物です。
Gファンクはヒップホップの基本ともいえるサンプリング(過去の曲や音源を拝借して楽曲にする手法)に加えて生楽器を多用したり、名前にもなっているファンクサウンドを活かしているなどが特徴として挙げられるヒップホップであり、業界に革命をもたらした存在です。
以降は数々のラッパーを大物に仕立て上げたプロデューサーとしても手腕を発揮しており、あのエミネムを発掘したのはドクター・ドレーです。ヤバい。
なんなら無名だったスヌープ・ドッグを見出して自分のアルバムに呼んだりスヌープのデビューアルバムのプロデュースもしてると、どんだけヒップホップの感性優れてるんだよ。ありがとうございます。
(スヌープ・ドッグは90年代から活躍するヒップホップ界で神だの天才だの謳われている大物中の大物です)
そして今度はケンドリック・ラマーに注目して彼をスターにしちまったということで、ドクター・ドレーがいかにヒップホップ界に貢献してるのか計り知れません。
(ラマーのことをJ.コールというラッパーがドレーに勧めてその存在を知ったという話もありますが、とにかくラマーの才能を見出して自身とともに仕事をしたいと思い、オファーをかけました。)
そして後にラマーはドクター・ドレーのレコードレーベル「アフターマス・エンターテインメント」と契約するに至ります。
しかし興味深いのは、すでにラマーはドクター・ドレーに注目されるだけの実力を持っていながら、ドクター・ドレーのレーベルと契約する直前でのライブではなんと9人しか客が来なかったのです。
下積みから一躍スターへ
観客9人の前で一生懸命ライブしたあとにヒップホップ界の大物と契約するってのもユニークですが、いまやその名は世界に知れ渡るケンドリック・ラマーにもばっちり下積み自体があったというのは面白いですね。ラマー的にはぜんぜん面白くないでしょうが。
ちなみに9人のライブやったあとに次々にヒット作を連発して、1年も経ったらスーパースターになってたというので分からんもんですね。
2010年にドクター・ドレーと契約を交わしてからぐいぐい注目を集めていき、2012年にリリースされたアルバム「good kid, m.A.A.d City」は全米トータルセールス100万枚を突破し、テレビ番組でも取り上げられヒップホップ界隈以外でもリスナーを獲得していきます。
そもそもが秀才のラマーはイケてるヒップホップを大衆に提供するだけでなく、現代社会を鋭くつくようなリリックは作品としての価値も高く評論家からも注目されるようになります。
そして2012年に最もイケてるラッパーとして讃えられ、なんとカニエ・ウェストらと並ぶほどになったのでもうスターの仲間入りってとこですね。
以降は様々な有名アーティストとのコラボレーションやらヒット曲ヒットアルバムを次々に打ち出していき、2016年にはマイケル・ジャクソンに次いでグラミー史上2番目に多い11部門にノミネートされたりと絶賛されることに。
そして2017年にリリースした「DAMN.」は全米アルバム・チャートで1位を獲得、アメリカでの年間ヒット・アルバムで2位に選出されました。
ラップを通じてのメッセージ
現在まで数々の賞や名誉をかっさらいまくるスターダムにのしあがったラマーですが、彼はあくまでアーティストとしてラップに現実の悲惨さや悲痛さなどメッセージを込めて歌い続けています。
そもそもがコンプトンの治安の悪さをどうにか訴えかけようとラッパーになった彼は、「m.A.A.d City」という楽曲でもどれだけギャングの街が悲惨かを歌詞に載せています。
内容はかなり凄惨なもので、脳みそが散らばる死体を見かけたことや、知り合いが殺人をした可能性があると考えると、その知り合いが別人に見えてしまうなど、ギャングの抗争が当然となった街のリアルな苦痛をリリックに載せて歌っています。
ギャングの街でギャングやってる分には敵対組織ブッ潰してやると意気込んでるでしょうが、1番の被害者は一般人です。ギャングの街とはいえギャングしか住んでいないわけではないですし、その迷惑極まりない抗争に巻き込まれる一般人目線でラマーが訴えかける思いは、ギャングがイケてるだのなんだのギャング目線で激しいことをあれこれ並べるだけではなく、ギャングとすれすれの場所で生きる人々のことを考えさせる問題提起をしてくれます。
暴力やらドラッグやら犯罪に手を染めてることがまるでステータスみたいな歌い方をするのではなく、ギャングではないからこそ、真面目であるからこそ見ることができるギャング文化への思いをヒップホップにして歌うのがラマーの重要な役割でもあると思います。
元がギャングによるギャングのために生まれたヒップホップ文化だからこそ、ギャングではない視点からの優れた感性から生まれるラマーのラップは、これからも多くの人に賞賛され、愛されていくことでしょう。