カテゴライズ不能かつ不要の世界的ロックバンド「リンキンパーク」とは

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音楽ジャンル分けが必ずしも必要というわけではなく、さまざまな音楽要素の影響を受けて当人たちの表現したい音楽を世に発表する姿勢というのは尊敬できるものです。

外野からジャンル分けをあーだこーだ言って、当人たちのジャンルについてあれこれ議論するのは聴衆の自由ですが、それに対して本人たちがコメントするのも自由。

メンバーの「リンキン・パークの音だと言われたい」という言葉にはそういった思いが込められていたのでしょう。

ラウドロックやヒップホップ、ハードコアにエレクトロニックなどさまざまなジャンルから影響を受け、全世界で凄まじい売り上げを記録し、カリスマ性に満ちたボーカルが不慮の出来事でこの世を去るなど、いまなお注目のロックバンド。

叫びに込められたエネルギッシュな音楽性を今回は紹介したいと思います。

リンキン・パークとは?

2000年代を代表するアメリカのロックバンドであり、叫ぶような怒鳴るような歌い方が特徴的なラウドロックをベースにしており、ほかのジャンルの音楽を様々に混ぜ合わせているのがリンキン・パークのサウンドらしさ。

ハードコアやエレクトロニック、インダストリアルなど、それまでのロックの概念を大きく変えてミクスチャー・ロックやニュー・メタルと呼ばれる新時代の音楽の先駆けとなった存在です。

その音楽は重厚感がありながらもシャウトやラップ、スクラッチなどが混ぜ合わさり、まさにミクスチャーという言葉が相応しい音楽性。

2000年にデビューしたロサンゼルス出身の6人組の彼らは、21世紀史上最も売れたロック・アルバムであるハイブリッドセオリーで全世界から注目を浴びることになります。

ちなみにこれはファーストアルバムってことですから驚異的ですね。

グラミー賞を2部門受賞しており、全世界の累計アルバムセールスは5500枚以上、日本でも日本ゴールドディスク大賞を2作連続で受賞しており、日本人気も高いバンドです。

実際にSUMMER SONICでは2006年、2009年ともに主役を務めています。

日本人ウケするカッコよさも持ち合わせているということでしょう。だってカッコいいもんはカッコいいですからね!理屈なんて抜きにして刺さればなんでもいいんだよなんでも!と言いたくなるラウドなシャウトには魂こもった熱量が籠もっています。なぜ命を落としたんだチェスター。

メジャーデビューまでの経緯

一般的にニュー・メタルやミクスチャー・ロックの先駆けであり代表者ともいわれる彼らリンキン・パークですが、カテゴライズするのも困難なほどに混ざり合わさった音楽性なので説明も多少厄介。

かつアルバムごとに音楽性も変更していたりするのですが、大方の説明をしていこうと思います。

ちなみには1996年頃ですが、その頃からバリバリに売れていたわけではなく、ライブでの客入りも満足いくものではありませんでした。

しかもメンバーそれぞれが学業であったり仕事と両立していたため、わりと苦労しながらバンド活動に励んでいたようです。

しかも1998年にはメインでボーカルを担当していたメンバーも脱退して、後任探しに一苦労。

それからレコードレーベルのゾンバ・ミュージック・グループのスタッフから紹介される形でリンキン・パークに欠かせないチェスター・ベニントンを知ることになります。(まだ当時のバンド名はXeroです)

1999年にチェスターはデモテープを受けて音響に感動して、オーディションに参加することに。そしてオーディション会場ではチェスターの歌声に圧倒されて、ほかのオーディションを受けに来ていた候補者が帰ってしまうほどの力を持っていました。

そしてチェスターが参加してからバンドコンセプトをハッキリさせるためにXeroからハイブリッド・セオリーにバンド名を改名して、活動の場を広げていきます。

それから42社のレーベルにコンタクトを取りつつも、契約を結ぶことはできない日々が続きます。

はじめからとんとん拍子で成功したバンドではないというのが窺い知れますね。

デビュートラブル

そんな彼らに転機が訪れたのは、チェスターを知るに至ったゾンバ・ミュージック・グループのスタッフ。

彼はそれからワーナー・ブラザーズ・レコードに移籍しており、そこで新人アーティストを発掘してデビューさせるA&R部門で働いていた縁もあって、契約することができました。人の縁があってこそ成功するという一例ですね。

しかしここでトラブルが。なんとハイブリッド・セオリーというバンドは別にも存在していたので改名せざるを得ないことに。

そこで仕方なく、チェスターがよく車で通っていたサンタモニカの公園からリンキン・パークという名前にしました。わりと適当ですね。

(さらにいうと、LINCOLN PARKというのが元々の提案したバンド名でしたが、インターネットのドメイン名で存在していたため、同じ発音のLINKIN PARKになりました。適当ですね)

デビュー後の変遷

やっとのことで2000年に生まれたリンキン・パークですが、1stアルバムはポシャったバンド名のハイブリッド・セオリーというタイトルまんまのアルバムを引っ提げてデビューしたところ、ビルボードで初登場16位、最高位は2位とかっ飛ばす勢いで成功しまくりました。いきなり過ぎる。

アメリカだけでもビルボード200に105周連続でランクインして2001年に最も売れたアルバムとなって速攻で売れっ子になってしまっただけでなく、イギリスやらスウェーデン、ニュージーランド、フィンランド、スイス、オーストラリアでもトップ10にランクインしています。マジで急加速過ぎる。

その結果ハイリッド・セオリーだけで3000万枚以上売り上げてます。もうこれだけでスターやん。

この成功をきっかけに、数々のツアーやらコンサートに参加することになり、有名なアーティストともガンガン共演ならぬ競演を果たすことになります。

メンバー紹介

ここからはメンバー紹介をしていきたいのですが、リンキン・パークはボーカル2人体制で作られてました。過去形です。

リードボーカルを務めていたチェスターは、とある事情でこの世を去っています。

そのあたりも込みでチェスター軸にはなりますが紹介していきます。

チェスター・ベニントン

アリゾナ州フェニックスで生まれ、両親は11歳の頃に離婚して父親に引き取られました。

この時点ですでに不幸ですが、そっからさらにエグいのが7歳頃から13歳まで年上の男友達から性的虐待を受けていました。ねじれるに決まってるだろうが。

その結果か16歳までに薬物やらアルコールを大量摂取してグレまくり、家庭環境も難ありで寂しさを紛らわすために絵や詩を書いていました。クリエイティビティが発揮されてる予感もありますね。

そして音楽に興味を持ってイギリスやアメリカのロックを聴き始め、バンドを始めて仲間もできてきました。

しかし過去の終わってる記憶が彼を悩ませ続け、アルコールやドラッグへの依存がますます強まっていきます。

その薬物への依存っぷりで風貌が変わりまくったことに母親が驚愕し、母の元に戻りました。

それからはバンドが好調で地元では人気バンドとなりアルバムも2枚出していましたが、バンドが解散してデジタルサービス会社で働いていました。ちなみに22歳で結婚もしています。

それからはグランジバンドで活動してから解散後、新しいバンドも見つからずに音楽を辞めようとしていたところでリンキン・パークの前身バンドと巡り合ったわけですから運命的ですね。

それからマッハで成功を収めるわけですが、彼の特徴といえば圧倒的なシャウトと、そこからは想像できないようなバラードの音色。

彼の相反するこの声の力は、過去の苦悩や成功後につきまとった健康被害からも生まれているのかもしれません。

彼は絶叫するシャウトや過激なタトゥー姿とは打って変わって、元来から病弱な身体でした。くわえて離婚などさまざまなことでも悩み苦しみ、ステージパフォーマンス中に怪我を負ったり、挙句には死亡例もある毒蜘蛛に噛まれるなど散々な目に遭いながら、2017年には悲劇が。

7月20日、自宅で首を吊って死亡しているのが発見されました。再婚もしていて子供もいるなかで、家族が外出している最中の自害でした。41歳でこの世を去った彼の死没日は、親交のあった友人の死と関係しているともいわれています。

グランジの最中に大ヒットを飛ばしたサウンドガーデンのシンガー、ギタリストのクリス・コーネルの誕生日が7月20日であり、クリス・コーネルも52歳で自ら命を絶っています。彼は2017年5月17日に亡くなっており、チェスターもその後を追ったのではないかと憶測が流れていますが、遺書もなく直前まで家族とも直前まで仲睦まじく過ごしていたといいます。

ロックなミュージシャンが自ら命を絶つことは残念ながら珍しくなく、ロックを信条とするミュージシャンにはその内側に破滅的な思いや絶望が渦巻いているのか、そして同時に脆弱な精神を併せ持っているからこそ優れた作品を生み出せるのかもしれませんが、喜ばしい出来事ではないことは確かです。

マイク・シノダ

リンキンパークのボーカリストでありギタリスト、キーボードも担当します。

名前から察した方もいるでしょうが、彼には日本の血が流れており、父が日経アメリカ人です。けれども日本語は話せないですし、生まれもロサンゼルスとおもいっきりアメリカ人。

(ちなみに弟は日本に留学して日本語も勉強していてある程度話せるそうで、ライブ先で日本語を披露するのは弟から教えてもらったからだそう)

彼は生まれこそアメリカで母国語も英語ですが、生まれ育ったロス郊外は住人の8割は白人だったため、浮いた存在であり彼自身も距離を感じていました。

ちなみに彼はアートセンター・カレッジ・オブ・デザインという美術大学の出身でもあり、アルバムアートワークやバンド商品、ウェブデザインなどリンキンパークの芸術面に携わってきています。

さらには自身でスニーカーをデザインしたりと多彩な人物。

チェスターの死後はソロ活動も行なっています。

ロブ・ボードン

リンキンパークのドラマーであり、マイクとは高校の同級生でSuper Xeroというバンドを結成していました。これがリンキン・パークとなるので、高校からシノダと歴史を始めた彼は偉大ですね。

ちなみに小学校時代にエアロスミスのコンサートをみたことがきっかけでドラムを始めました。始め方がイケてる。

ブラッド・デルソン

ギタリストでありユダヤ系アメリカ人の彼も、マイク・シノダとともにSuper Xeroを結成してバンドメンバーをやってました。

彼は作曲にも携わっており、プロデュース活動を行うなどギタリスト以外の活動も行なっています。

デイブ・ファーレル

リンキン・パークのベーシストであり、広くはフェニックスの名前で知られています。

バンドではベースを担当していますが、エレキギターも演奏できるだけでなく、チェロやバイオリンも弾けると多彩。

ジョー・ハーン

韓国系アメリカ人でDJを担当しており、彼はアートセンター・カレッジ・オブ・デザインでマイク・シノダと出会ってバンドに参加しました。(ちなみに同校は学費が高く払いきれずに中退しています)

彼は両親が韓国人ですが、韓国語は話せないそうです。

映像の才能もあり、リンキン・パークのミュージックビデオのほとんどを監督しており、映画も作成している経験があります。

ちなみに日本のオモチャが好きで、ミュージックビデオにガンダムのプラモデルを登場させるほど。

オススメ楽曲

最後にオススメの楽曲をいくつか紹介していきましょう。

彼らの重苦しくも激しいロックのサウンドは、亡くなったチェスターの存在感があってこそという部分も多分にあるとは思うので残念ですが、どこか破滅的かつクリエイティブ、過激で繊細なアーティストが生み出す楽曲は世界中の多くの人々に愛され、今なお影響を与えています。

ボーカルの悲しいエピソードを語りはしましたが、楽曲自体はどれもこれも全世界を虜にしたのも納得のサウンド。

ミクスチャーと形容されるように、ある部分ではヒップホップ、あるところではメタル、あることではラウドロックなど目まぐるしく一つの楽曲の中で様変わりする多様性は必聴です。

Faint

Numb

Papercut

Figure.09

One Step Closer

Somewhere I Belong