人生そのものがロックスター!英国を代表する兄弟の末っ子「リアム・ギャラガー」とは?

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「本当の俺にならなきゃ」

このセリフが好きと言って様になるなんて素晴らしい生き様です。

ステージ上で平気で兄貴にキレてやれタンバリンで殴るわやれ座り込んで飲み物飲むわと好き放題やる様もある意味で魅力的ですが。

そんなことやるミュージシャンは一体だれかというと、オアシスのリアル弟分リアム・ギャラガーです。

イギリスの代表的ロックバンド、ビートルズとも度々比較される全世界のセールス7000万枚以上の記録を持つワールドワイドなバンドのフロントを務めながらなにをやってるんだというエピソードですが、こんなもん序の口な根っこからロックスター気質なのが彼の魅力。

ちなみにキレられてた兄貴ノエル・ギャラガーも充分に不良ですが、弟の方がストレートに暴力的な言動といった感じ。

面白いというかロックな性分だと分かるエピソードで個人的に好きなのが、オアシス時代のあるライブでリアムが喉の不調を訴え、ライブをすっぽかすという事態に陥りました。

オアシスの作曲は兄のノエルが担当していたため、ボーカルのリアムが欠けても一応歌うことはできたのでノエルが全曲歌うハメに。

そして当のリアムはどこで何やってたのか、何してサボってたのかというと、兄貴の歌うライブの最前列で酒飲みながら鑑賞していたそうです。

ロックンロール!!!!!!!

そんな彼を今回は紹介したいと思います。

リアム・ギャラガーとは

ライブ中の立ち振る舞いを見る限りロックをやるために生まれてきたようなもんだと一目瞭然なリアム・ギャラガー。

なんでこんな反骨精神丸出しにすくすく育ったのかというとうことで、生い立ちから振り返っていきましょう。

1972年、マンチェスター近郊のバーネイジで生まれたリアム。兄のノエルとは5歳差で、けっこう離れていますね。そして意外なのが2人兄弟ではなく、3人兄弟。実は兄ノエルの上にはさらに上のお兄さんがいます。

で、なぜリアムがロック精神を育まれたのかというと、父親の影響です。父親がロック音楽を好んでいて家でよく流れていた、なんて穏やかなエピソードであればよかったですが、そんなことでロックな気質に育つかという話。

父親はアルコール依存症のろくでもない人間で、息子たちに普段から暴力をふるっていました。

リアムはあまりそのターゲットにならなかったそうですが、2人の兄はかなり父の暴力に怯え、そのせいで兄ノエルは内向的な人間なったそうです。

(それがノエルのオアシスでの才能あふれる作曲につながっているとも考えられますが、けっして幸福なことではありません)

自身は父の暴力の的にならなかったとはいえ、父に対していい思いなんてしているわけがありません。インタビューでも父親のことはアイツ呼ばわりしていますし。

こんな家庭環境だったため、母親は3兄弟を連れて家を出ています。母自身も暴力の的になっていたので、とんでもない環境にさらされていたわけです。

リアムも父から離れたことはよかったと言っています。その離れ方もかなり急だったようで、父が外出している間に母親が3兄弟と家財をトラックに全部注ぎ込み、家にはマットレスだけを残して新しい家に向かったそうです。もはや家出ですね。

それだけ家族全員が父に対して負の感情を抱いていたのでしょう。リアムは元々住んでいた住居付近の友達が恋しかったそうですが、父親がそのへんにいるため近づけなかったそうです。

(父親はリアムたちがどこに引っ越したのか知らず、リアムを見つけると「どこに行ったんだ?ろくでなしめ!」と叫んで追いかけていたそうです。ろくでなしはテメエだろうがってオチですが、家族が離れて思うことがなくはなったのでしょう)

父は最低だが母は大切

とんでも親父の作り出した家庭環境がリアムの性格に影響していることは間違いないでしょう。

不安と恐怖と怒りを抱えた子供時代を過ごした経緯がロックスター気質を育んだということは、オアシス誕生のきっかけは父親にもあると思えますが

(ノエルもギターと出会って作曲し始めたのは家庭環境が無関係ではないでしょうし)

しかし望んでもいない生活を強いられていたのはギャラガー兄弟にとって不幸でしかありません。

とはいえ、母のことは大切に思っていたそうです。女手一つで息子たちを育ててくれたのですから当然といえば当然なのでしょうか。子供時代はもちろん現在も母のことは大事とのこと。父は知りません。

母はリアムたちの歌謡学校で給食調理員として働いていたため、母親と学校で一緒にランチを食べていたそうです。かわいいですね。

ちなみに学校には出席表にサインだけして校内のフェンスを颯爽と飛び越え、友達の家で遊んでからお母さんのいる学校に戻ってランチしていたそうです。ツッコミどころが発生していますね。

母親に授業のことを聞かれると、「大丈夫だったよ、ちょっと苦労したけどね」となんとかごまかそうとしていました。かわいいですね。

母親との関係が良好だったことはリアムにとってよかったのでしょう。お兄ちゃんのノエルも食堂で働く母の元へ昼間に顔を出していたようですし、荒んだ幼少期に母がいたことは大きな支えだったはず。

ロック気質な6歳児

ちなみにギャラガー兄弟は2人とも学校をサボり倒す不良でした。兄弟揃ってロックの一端を見せていますね。警察のお世話にも2人ともなっていました。すでにロックですね。

兄よりも弟リアムの方が幼少時からロック気質だったようで、6歳の頃には担任の先生から「リアムのおかげで毎晩精神安定剤を服用している」と言われたようです。どんだけ問題児だったんだよ。

そして15歳のときには喧嘩など複数のロック行為によって中学時点で退学処分を言い渡されましたが、愛すべき母の懇願によって復学して卒業できたそうです。よかったね!

そんな母の思いを汲んで真面目な学生とし勉学に励むわけもなく、他人の家に不法侵入して服を盗んだり自転車や芝刈り機を盗んでドラッグを買っていました。ロックだねの一言で片付けていいのでしょうか?

音楽キャリアのスタート

そんなこんなでリアム少年がゴリっゴリの不良でしたが、サッカー少年でもありました。現在でもギャラガー兄弟はマンチェスターの熱狂的なサポーターですし、サッカーは音楽同様に彼のアイデンティティです。

では音楽の方はどうだったかというと、じつはリアムは子供の頃に音楽をぜんぜん聴いていませんでした。

音楽のキャリアも18歳からのスタートとけっこう遅めです。

(兄は学生時代からギターに触れたり音楽を聴いたりしていたので、音楽の触れ方に違いがありますね。ソングライティング担当とボーカル担当に分かれたのもこのへんが関連していのかもしれません)

しかし兄も影響を受けたマンチェスターのロックシーンで話題となっていたザ・ストーン・ローゼズのライブを目の当たりにして音楽に目覚めました。

音楽との運命的な出会いは彼のライブパフォーマンスにも色濃く影響を与えたようで、ステージの歩き方から果ては大口を叩くところまでザ・ストーン・ローゼズのボーカルであるイアン・ブラウンの言動モロでした。

音楽に触れていなかった分、ライブから受けた衝撃を純粋にそのまんま得られたのでしょうか。それにしては破天荒な方から影響を受けたなという感じですが。おそらくロックな性分にピタリと当てはまるパフォーマンスだったということですね。

だからといって機嫌悪くなったら仕事すっぽかしてライブ中にステージ上で座りながらタバコ吸うってロックすぎやしないかというツッコミしたくなるほど根っからの人です。

まあとにかく音楽に目覚めてからはキンクスやT・レックス、そして最も影響を受けているというビートルズなどイギリスのロックバンドに触れながら感性を磨いていきました。

そして彼は学校の友人から誘われてボーカリストとしてザ・レインというバンドに加入します。

このバンドに入って、リアムはバンド名を変更します。

オアシスという名前に。

ちなみにリアムが誘われたのは、リアムに音楽的な才能があったからとかそんな理由ではなく、兄ノエルがバンドのローディなど音楽業界で務めていたことから、ノエルの業界のコネを狙ってリアムを誘ったというまあまあ下心満載な理由でした。

しかし結果的には音楽業界のコネどころか世界の財産を手に入れることになるわけで。

ちなみに誘われた友達とはサッカーを通じての友達でした。サッカー少年のコネが音楽のコネにつながっていき大成功とは。

ボーカルとしてのリアム

リアムは仲間から全開の下心が理由で誘われましたが、リアム自身ははっきりとボーカリストを志していました。

その理由は、自分なら歌えるという自覚があったから。なぜそう思ったかというと、ルックスもよくて服も揃っていて、髪型もバッチリだから、マイクの前に立って口開けばいいし楽勝だと思っていたのです。

そんだけ自信満々なら逆にイケるんじゃないかこの人と思えてくる理由ですね。さすがはロックスター。

結果的にスーパーいい声で人々を魅了する彼ですが、彼の声にはビートルズのジョン・レノンとセックス・ピストルズのボーカルであるジョン・ライドンの融合とも表現される唯一無二の声質があります。…ものすごい2人が融合していますね。

ちなみに彼自身はボーカルというものをよく理解しないまま兄貴のノエルに言われたまま歌っていたらしいですが、それってつまりただの才能なわけで。根拠のない自信からボーカルスタートしたってのに蓋を開ければ天才だったってなんだよという話です。

とはいえリアムはジョン・レノンを敬愛しており、自分にとってジョン・レノンはすべてだと語るほどの存在感があります。

ジョンの歌っている声、曲、言葉、そのどれもがリアムにとって世界そのものだと公言するほど偉大な存在なようです。

そのため知らず知らずのうちにジョン・レノンの影響を受けてはいたのでしょうが、知らず知らずのうちに自分のものにするってやっぱり才能じゃないかよ。

しかし、彼の唯一無二の歌うだけでカッコいい歌声は、長年の飲酒、タバコ、ドラッグ、さらには過酷なライブスケジュールやレコーディングなどが原因で出にくくなっているそうです。

声が思うように出なかったらライブ中でも退場するので、そのへんはいつまで経ってもお変わりないようで。

独特な歌い方

彼はその声ももちろん魅力的ですが、独自の歌唱スタイルにも注目がいきがち。

手を後ろで組み、右肩を下げて上半身をのけぞらせて歌うというなんとなく真似したくなる歌い方は、彼にとって自然な表現方法なのだとか。歌声に力が入るのが独特な歌唱法になったといいます。

ちなみに1994年以前はマイクスタンドのマイクを歌っていましたし、2005年以降は独特な手を後ろで組むスタイルはなくなっていきました。

また、彼はタンバリンを手にしながら歌うのも特徴で、一時はタンバリンを2000個所有していたと公言しています。(言っておいて自分でその発言は忘れてたみたいなので定かではありませんが)

不祥事

彼が独特なのは歌い方だけではなく言動にもあります。

兄さんが発言でトラブルを起こすことが多いのであれば、弟は傷害沙汰だのそっちでトラブルを起こしがち。

やれ海外ツアーに行く時にはフェリーの上で飲酒して大乱闘したり、バーやら教会に侵入して物盗んだり、万引きしては逮捕されるわ航空機内で酔っ払って暴れてタバコ吸って永久に利用禁止にされたり、ファンに頭突きかまして逮捕されたりホテルで暴れて備品を壊して出禁になったりと、これ全部オアシスとしてデビューしてからってのが凄まじくロックンロールですね。

父親としてのリアム

世界中で不祥事起こしてる彼ですが、なんとちゃんと父親やっています。

自身の父親とはうまくやれていなかったですが、彼自身が父親になると子供たちとは良好な関係を築いているようです。それは、自分が父親と良好な関係を築けなかったことが大いに関係しています。

ちなみに教えとしては、息子たちに「俺みたいになれ」と言ってます。「俺は偉大だから」だそうです。いいですね。

子供たちの教育方法を聞かれても、息子たちは自分たちで成長して、自身は彼らと友達のような感じでいたといいます。

彼なりの教育方針が功をなして、良好な関係を築けているならベストでしょう。破天荒な側面がよく話題に上りがちですが、ちゃんとしてるところはちゃんとしているようですね。

いつまで経ってもロックスター

声が出にくくなろうが家庭をもって立派にパパやっていようが、彼はいつまで経ってもロックスターです。

VOGUEのインタビューで彼は「ロックンロールをどうやって変えた?」と聞かれて、「俺はロックンロールをしてるだけだ」と返答しています。

そして「ロックンロールはまだ生きているか?」という問いに、彼はこう答えました。

「俺が生きている限りはな」