まったく無関係であろう50年代の音楽がルーツとなって最新音楽に影響を及ぼしていたりと、音楽をより知るためにはその成り立ちを知ることも不可欠。
そして音楽は音楽だけで形成されているのではなく、身だしなみも音楽の一部であり身だしなみは音楽を内包していることが多分にあります。
ヒップホップカルチャーにはオーバーサイズが切っても切れないルックスですし、ほかのジャンルでも「この音楽を愛聴するならこの格好だ」というテンプレートのようなものが存在します。
今回は音楽とファッションの関係について、そしてパンクという音楽を題材に話を進めていきたいと思います。
パンクとファッションの関係はなかなかにユニークなので、パンクを紐解く一つの手法としても有用です!
パンク・ロックとはなにか
ではまずパンク・ロックとはなにか、概要をざざっとお伝えしましょう。
パンクは70年代の音楽の一ジャンルです。
当時はロックが超絶巨大化し、コンサートの規模は大きくなり技術は磨きに磨きがかかっていました。またプレグレバンドなど難解な音楽も登場し、派手で性別も不明なグラムロックなど、音楽のジャンルにある程度の幅はあれど、どの音楽にも馴染めない層が一定数いました。
そのはぐれ者の音楽として生まれたのがパンクロックです。
パンクは技術もへったくれもなく、がっちゃがちゃとノイズみたいな騒がしい音にやたろテンポの速い音に合わせて、攻撃的な歌詞を歌い散らすという勢い任せな音楽でした。
これは当時のロックが忘れていた原初的な野蛮性を秘めたもので、この雑な音楽に呼応した若者たちによって盛り上がりを見せていきます。当時のロックは野蛮性やら未熟さとは真逆に、どんどん洗練されていったジャンルになっていましたから、物足りなさを感じた若者に求められた暴力的な音楽といえますね。
この70年代に登場したパンクの代表といえば、アメリカはニューヨークのラモーンズ。対してイギリスではロンドンのセックスピストルズです。
今回主役となるのはパンクのファッション。そのファッションを形容するのはイギリス勢であるセックスピストルズですが、パンクの起源となるのはアメリカのお話。
というわけで、ラモーンズ界隈のエピソードをさらりと紹介していきます。
ニューヨークで生まれたのびのび音楽・パンク
いまでこそパンクといえば先に述べたセックスピストルズであったり攻撃的な歌詞やサウンドなど、荒々しいイメージが音的にも見た目的にも定着していると思いますが、パンクの発祥はそんな暴力沙汰みたいな現象ではありませんでした。
CBGBというニューヨークシティマンハッタン区のブリッカー通りにあるパンクの聖地とも言えるライブハウスでパンクは誕生しました。
ここではラモーンズを筆頭に様々な有名パンクバンドが思い思いの音楽を歌い奏でていましたが、ファッションも特に攻撃的でがなく、ポロシャツにセーターなど落ち着いた格好のバンドが多く、音楽もこれといってパンクという特定の音楽性はありませんでした。
共通していたことは、メインストリームに馴染めずありのまま思ったことを自由に歌いたいから歌ってる、奏でたいから奏でているというスタイルでした。
「これが自分たちの聞きたい音楽だ!」と気持ちのままにかき鳴らす様はメインストリームに反抗しているという意味では、パンクの反骨精神を体現しているようで起源といえそうです。
この自由な音楽はニューヨークで流行し、遠く海を渡ってイギリスでもブレイクすることに。
当時のイギリスは不況の真っ只中。特にロンドンは仕事をなくして放浪している若者であふれかえるという有り様でした。
そんな世の中なのに世間を賑わせているのは理解不能で難解なプログレッシブロック。社会にも音楽にもイラついていた若者は、ムカムカする気持ちを吐き出せる自由で爽快な音楽を必要としていました。
つまり、まさにパンクが若者たちの心に見事フィットしたのです。
若者の心にいち早く気づいたイギリスパンクの生みの親
この若者たちの不満の想いを敏感に感じ取りキャッチしたのが、イギリスパンクの黒幕ともいえる人物。デザイナーでありブティックのオーナーでもあったマルコム・マクラーレンです。
彼は自身の経営する「SEX」というぶっとんだ名前のブティックでぶっとんだ服を販売していたのですが、若者の気持ちを理解して「よし!じゃあぶっとんだ服を作ろう!」ってことで反社会的なメッセージをふんだんにあしらったお洒落なアイテムを販売し始めました。
先ほど嫌悪されていたプログレッシブロックの先駆者であるバンド「ピンク・フロイド」を大胆にデザインに昇華して「俺はピンク・フロイドが嫌いだ!」と大々的にプリントしたTシャツなど、喧嘩上等なアイテムは若者に見事ぶっ刺さって売れたといいます。
ちなみにファッションに関心がある人であれば「マジで!?」となる情報ですが、有名な話でこのSEXはヴィヴィアン・ウエストウッドがマルコム・マクラーレンと開いたブティックです。衛生のシンボルで有名な今なお現役のイギリスを代表するファッションデザイナーですね。(余談ですが彼女は若い頃は美術教師を目指していたそうです。)
マルコムとヴィヴィアンは若者の欲求を反映したような破れてボロボロになった服やメッセージ性あるTシャツに呼応し、行き場のない若者たちの溜まり場となっていきます。
そしてこの浮浪者よろしくななんでもないなにもない若者こそが、伝説的なパンク・バンド「セックス・ピストルズ」の土壌となるのです。
マルコムによって作られた反社会の象徴
マルコムのデザインはなにもかもあらたらしく、革新的なファッションをつくっていきました。
そして彼は商売のセンスも優れており、ファッションだけではなく音楽にも手を出します。
元々ニューヨークドールズという過激さを売りにしたロックバンドのマネージャーを務めて成功を収めていたマルコムは、「もっと過激でもっと嫌悪されるバンドを作ろう」とイギリスで画策して、自身のブティックを吹き溜まりのようにたむろするただの一般のガキんちょをスカウトします。
これがなんとセックスピストルズのメンバーだったのです。
ベーシストとして以外いろいろと有名なシド・ヴィシャス以外のメンバーをここからかき集めることになるのですが、全員音楽の経験なんてないズブの素人。
彼らは反社会のカリスマ的なバンドというイメージが流布していますが、なんてことはない、不況の社会の中でただ苦しむそのへんの一般人の子供だったのです。
そんな彼らは自分たちの憤りを歌に昇華してスターとなったのではなく、ただロンドンの吹き溜まりに不良として集っていたら金儲けを考える大人にスカウトされたというだけでした。
反社会のパンクバンドの代表格は、大人の金儲けによって生まれたのです。
作られた反社会の象徴
こうして人工的に作られたセックスピストルズは、マルコムのイメージするパンクを表現するために徹底的に作り上げられていきます。
彼らがしばしばステージで客に唾を吐きつけたり喧嘩を売ったりしていたのは、彼らが音楽を通して社会の不条理を伝えたいなんてことではなく、ただマルコムに指示されたからです。
歴代の反社会なロッカーたちを模倣した音楽性を徹底的に仕込んで、彼らの音楽は瞬く間に売れることとなりました。
そして彼らの音楽と切っても切れないのが、「SEX」でも販売されていた反社会的で攻撃的なファッションです。ボサボサの髪にビリッビリに破れたジーンズ、安全ピンやチェーンを装飾品に仕立て上げた過激なファッションも、彼らバンドメンバーが憤りから生み出したオリジナルのファッションなどではなく、マルコムが「こんな格好したら売れるだろ!!」と作り出した商業ファッションです。
セックスピストルズといえばクラッシュした派手なルックスを思い浮かべる人も多いかと思いますが、繰り返していいます。彼らの心から生まれたのではなく、商業的に作られたものです。アイドルみたいなものです。
反社会の象徴としてイギリスはおろか世界中の若者に衝撃を与えた彼らの音楽とファッションは、メインストリームから弾かれあぶれた若者の音楽だったのに、いつのまにかパンクロックがメインストリームとなっていったのです。
パンクファッションとは
反社会的で過激な音楽性とともに、そのルックスもマルコムによって作り込まれていったパンクスタイル。社会の象徴でもある大人によってつくられた偽物の反社会性を反映したルックスは、けれど何も知らない若者達に受け入れられ、ファッションシーンでも流行していくことになります。
そんなパンクファッションですが、クラッシュしたデニムやTシャツ、反社会的なメッセージをあしらったアイテムに、スタッズやチェーン、はては安全ピンを装飾するというのが典型的なイメージです。
女性の場合はコルセットやボンテージなど、娼婦を連想させるセクシャリティなアイテムや極端なミニスカートなども使われました。
髪型は派手で不自然な色に染めたり、ベリーショートにするなど、女性らしい印象から逆行したルックスになっていました。
ピストルズを広告塔にした流行ファッション=パンクスタイル
マルコムとヴィヴィアンの店でもボンテージパンツやプリーツパンツ、パラシュートシャツ、ピーターパンシャツ、ベルベット襟のジャケットなどが人気でしたが、やはり広告塔を努めたセックスピストルズによって広まったスタイルでした。
ピストルズの反社会的で刺激なファッションを模倣し、競うようにショッキングさを求めるファッションがパンクスタイルの特徴でもありました。
ゆえにピストルズのジョニー・ロットンやシド・ヴィシャスの髪型やルックスを真似するものは後を断ちませんでした。
安全ピンや缶バッジなどセックスピストルズのメンバーで表現していた格好がパンクファッションのセオリーにはなっていますが、セックスピストルズのメンバーのファッションは自作の安物ばかりだったようです。
しかしボーカルのジョニーロットンはヴィヴィアンウェストウッドと最も親密であったため、高価なガーゼシャツなどを譲ってもらっていたといいます。
とはいえ基本的には彼らのファッションは安価で模倣可能なものが多く、自分たちが着ていた服やアレンジしたものは数週間後にはSEXの店頭に並んでいたといいます。
彼らのファッションが流行したのは、一般人でも真似することが簡単で、安価であったというのも理由の一つといえるでしょう。
このように爆発的に流行したロンドンパンクですが、安価に作成できる自作の精神をフルに活かしてペンキやスプレーでも服にメッセージを書き殴ったりしていました。
ロンドンのパンクバンドはメッセージに整体性への反発や権威への不服従、個人の自由の尊重などを謳っており社会に対してこれでもかと反発している楽興とファッションが特徴でした。
剃刀の刃をアクセサリーにしたり、女性はSMの衣装すらファッションとして着用したほどです。
パンクカルチャーの代表アイテム「ラバーソウル」
パンクファッションを語る上で重要なのがジョージコックスによって設立されたジョージコックス社のラバーソールです。
クレープソールの厚底シューズで、軍靴など例外を除いて世界初のゴム靴を採用した靴です。
日本ではラバーソールと呼ばれていますが、ブローセル・クリーパーズというのが正式な名称です。いままでの革靴では味わえなかったソフトなある着心地が魅力でしたが、見た目が奇抜なため一般的には敬遠されていました。それが1950年代のテディボーイズと呼ばれるオシャレな不良達に愛用されており、そのテディボーイスのファッションを現代にリバイバルさせた店こそがマルコムとヴィヴィアンの店でした。
そして店の看板商品であったこの靴はパンクスにも愛用され、ピストルズだけではなくほかの初期パンクスのバンドに履き潰され、最新のパンクファッションに欠かせないシューズとなったのです。
前時代と商業の影響を受けて育まれた反社会カルチャー
パンクスはマルコムによって商業的に生み出された側面もありますが、全時代にロンドンで流行したストリートカルチャーの影響も受けており、また音楽的にも反社会的で無茶苦茶なことを歌っているようで、ロックの影響も受けています。そもそもが簡素なロックンロールへの回帰をしているので、前時代の影響を受けて独自の形で成り立ったのがパンクスタイルです。
反社会を謳いながらも、じつは社会の大人によって作られたという言わばペテン的な側面もありますが、それでも発生して反社会の若者達に受け入れられたということは立派なカルチャーとして成立しているのでしょう。
以降も音楽だけでなく、ファッション面でも様々に影響を与えていき、パンクはハードコアパンクなど姿を代えて後の時代で別の姿として表現されることとなっていきます。
パンクスタイルは見た目の奇抜さや派手さから単純にファッションとしても受け入れられていたため、パンクスタイルをキメている若者が全員パンク好きというわけではありませんでしたが、それは現代でも同じことでしょう。
音楽からメッセージ的に発生したファッションがイケているという理由で模倣され、ファッションとして愛される。
そこには音楽という元ネタがあり、さらには感情という起源があって生まれた文化。
音楽とファッションと感情は切っても切れない関係ですし、一時代を築いた音楽から流行のファッションを読み取るとるというのも、文化を理解する上で大切なことでしょう。
まあパンクに関しては何度も言いますが作られた側面もあるのでなんともいえない部分がありますが、それでも音楽とファッションがリンクしていたのは紛れもない事実。
音楽を知るためにファッションを知るという観点は、今後も大切にしていきたいところですね。