歌姫かつモデル並みに身長高いって素敵ですね。
だれのことかといえば、テイラー・スウィフトです。彼女は身長178㎝、足のサイズは26.5と男性ばりのサイズ感。こんな表現すれば貶しているように映るかもしれませんが逆です。背が高い女性は素晴らしい。
というか身長の話すればバレーボールやアメリカのプロバスケどうなるんだって話です。アメリカの女子プロバスケットボールリーグWNBAの平均身長185㎝ですからね。平均185㎝!?
余談から入りまくっていますが、テイラー・スウィフトは親友のエド・シーランと会うときはヒールを履かないようにしているのだとか。エドは身長173㎝なので小柄に見えるのが嫌というエピソードもあり、彼女が気を遣ったなんて話を共演したMV撮影の際に語っています。
どんな話からテイラー・スウィフトの話始めるんだよいうわけで、グラミー賞11回を受賞するアメリカの歌姫について今回は紹介していきましょう!
テイラー・スウィフトとは?
1989年12月13日、ペンシルベニア州はウエスト・レディングで生まれたテイラー・アリソン・スウィフト。
銀行のファイナンシャル・アドバイザーの父と、投資信託のマーケティング管理をやっていた母親という、なんとも金融感のある家庭に生まれたテイラー。ちなみに祖父は3代にわたって銀行頭取でした。金持ち。
そんなテイラーは11エーカーのクリスマスツリー農場で伸び伸びと育ちました。クリスマスツリー農場ってなんだという話ですが、そのまんま文字通りクリスマスツリー用に使うためのコニファーという針葉樹を育てるための農場です。さすがアメリカ!!!
ちなみに11エーカーは東京ドーム1個分に相当するサイズ感です。
充実した環境で育った歌姫
健やかに育ちまくる感がハンパじゃないですが、3歳にはテネシー州のナッシュビルに引っ越しています。で、ここでの生活はどうだったかというと、テイラーの家は馬を何頭も所有していたので、乗馬を満喫していました。どっちみち自然豊かすぎる!というかやっぱり金持ちですね。
お家の潤沢な自然と資金のおかげで、はじめの趣味が英国式の乗馬だったというのでなんとまあ優雅な。
ちなみに初めて馬の鞍に乗ったのは母親の影響もあって9ヶ月のときです。おっかさん。英才教育かな?
本当に英才教育になったっぽくて、あとあと競技会にも出るほどガチで取り組んでいくことになったテイラー。歌姫の意外な一面過ぎる。
また9歳のときにはペンシルベニア州ワイオミッシングの郊外で家を借りて、学生時代の多くを過ごしたテイラー。夏季にはニュージャージー州のストーン・ハーバーの海岸にある両親の別荘で過ごし、子供時代の思い出の大半を作ったといいます。
いやさっきから別荘だの馬だの環境が充実し過ぎているのはなんなんだ?
完全に健やか健康に不自由なく成長していった感が溢れ出ている。めちゃくちゃ友達と恋と愛にあふれた学生時代を送ってる感がすごいぞテイラー!
音楽への関心
自然豊かな環境ですくすく育っていった彼女は、ミュージカルにも興味を持っており、劇団に所属して多くの作品に出演しました。良環境で育っただけでなく感性を磨く経験にも余念がないとは。
しかもけっこう本気なレッスンを受けているようで、定期的にブロードウェイで歌や演技のレッスンを受けていたのです。ブロードウェイってのはあのニューヨーク市マンハッタン区のブロードウェイです。ニューヨーク屈指の。最高水準の劇場区域です。マジか。
本場のミュージカルの環境で歌のレッスンを受けることができたのは、彼女のキャリアにかなり影響を与えているのではないでしょうか。
ちなみに歌への興味は、ブロードウェイでの経験ではなく、シャナイア・トゥエインの歌声を聴いて目覚めました。
シャナイア・トゥエインはカナダ出身のカンドリー歌手であり、女性アーティストのアルバム歴代最高の売り上げも記録しているスーパー歌姫。
広大な自然と馬に囲まれて育ったら健康的な美人に成る自然界の法則でもあるんでしょうか。少なくとも健康なことは強靭な生命になるために必要不可欠なので正しいとは思いますが。
美人だのイケメンというのは生物的に優れていることを外郭的に証明しているからこそ、多くの異性に惹かれますからね。顔の良さだけでなく、肌の綺麗さと汚さが健康体か否かを示す指針となるため、清潔感のある人間は好印象であり不潔な人間は嫌悪されるわけで。脱線する脱線する。
とにかく自然健康タフなシャナイアに衝撃をテイラーが受けたのは納得のいくことです。シャナイアのMV見る感じもテイラーの育った環境をそのまんま物語るような映像美ですし、テイラーが素朴さを意味する「カントリー」の音楽性に惹かれたのはテイラーという女性のパーソナルを表しているようなものでしょう。
そしてテイラーはカントリーミュージックに強く興味が湧き、以降は喫茶店やらスポーツ・イベント、ボーイ・スカウトのミーティングなどさまざまなところで演奏するようになります。
そして11歳のときには地元のタレント・コンテストで優勝するまでになります。いや11歳て。キャリアの早熟さよ!
11歳で精力的に活動
11歳で地元のコンテストに優勝して微笑ましい、なんてことはなく、テイラーはこの時点で音楽業界での成功を考えていたようです。というのもアーティストとして成功するためには、テネシー州ナッシュビルへ行く必要があると幼心に思っていたのです。
もはやこんなこと本気で思っている時点で11歳だの子供だの言ってられませんね。遺伝子に音楽家としてのプログラムが組み込まれていたんでしょうか。
なにゆえテネシー州ナッシュビルに行ったのかというと、衝撃を受けたシャナイア・トゥエインがカントリーミュージックの歌手であり、ナッシュビルにはカントリーミュージックで有名なミュージック・ロウというレーベルがあったからです。
・カントリーミュージックとは
ここでカントリーミュージックとはどんな音楽やってことで軽く触れておきましょう。
アメリカ南部地方発祥の音楽であり、アコースティックギターやフィドルというバイオリンなどを使って演奏される音楽です。
ブラックミュージック発祥の音楽がわりかしチャートを席巻するなか、カントリーミュージックは白人の音楽というのが特徴。
カントリーは田舎を指す言葉であり、のどかで自然豊かな故郷を想起するようなのーんびりした楽曲イメージの通り、故郷の思い出や恋人のことを歌うことが多いです。
とはいえ全部が全部のどかで平和な曲ばかりではなく、犯罪だのバイオレンスなことも扱ったりはしますが。
ルーツとなる音楽はいくつか挙げられますが、ヨーロッパの伝統的な民謡が白人ゴスペルと融合して、1930年頃に生まれたとされています。
ちなみにカントリーは穏やかな印象と裏腹に、バンドの構成はギター・ベース・ドラムといったロックバンドをまんま同じ楽器で演奏されます。フィドルやバンジョーといったカントリーらしい楽器をプラスすれば、よりカントリー感が出るのでプラスされることは多いです。
テイラーがカントリーミュージックに惹かれたのは、やはり幼少期ののどかで伸び伸びとした生活と音楽性がかなりマッチしたことは想像に難くありませんね。
音楽的な琴線の触れ方が生活環境におもいっきり影響を受けているのは興味深いところ。テイラーの育ち方でヘヴィメタルやハードコアに興味持つイメージがまっっったく沸かないのは自然なことでしょう。
なかなか成果が出ない11歳
カントリーミュージックの本場のテネシー州でカントリーミュージックのカラオケカバーを自作してレーベルにデモテープを送るテイラーでしたが、評価に繋がらずに悶々とした日々を送ります。
そして11歳の彼女は思います。「この街の人と私は同じことを考えている。だからレーベルに注目されるようになるには、人とは違うことを考えなければ?」
11歳じゃないですよね。魂的には25歳くらいでしょうか?
12歳のときにはギターの弾き方を学び、3コードで一生懸命奏でるようになります。微笑ましいですねなんて言ってる暇なく、すぐさま作曲します。早いよ。
あの彼女は詩を作って全国大会で優勝した経験もあるので、作詞センスを引っ提げて曲作りに邁進していくことになります。なんだ詩で全国大会優勝って?
10代からキャリアをスタートさせたとかではなく、10歳からキャリアをスタートさせたと言った方が的確なテイラーの音楽活動。歌唱力やら作詞能力やら音楽家としてのスキルが思いっきり備わっているあたり、なるべくしてなったという感じが凄まじい。
それからはニューヨークで活動する音楽プロデューサーの力もあり、ファッションブランドのアバクロンビー&フィッチのキャンペーンでモデルとして登場し、その縁からオリジナル曲が有名レコード会社に伝わって会議に参加する機会を得ます。というかモデルとして出たのかよ。
ナッシュビルへの転居
以降はナッシュビルのレーベルの養成所に通うようになり、14歳のときには父の仕事の都合でナッシュビル近郊のヘンダーソンビルの湖畔に引っ越します。湖畔がそばってのがまた環境良過ぎる。
しかしこの頃、テイラーは何がなんでも音楽業界で成功したいという気持ちが強く、なかば強迫観念に囚われている状態だったといいます。そこまで音楽の道で成功しようと若年で考えていたのが、彼女のパッションの強さを物語っています。
音楽業界については何も詳しくない両親でしたが、躍起になるテイラーを女漁しようとさまざまなことを調べて、サポートしてくれました。
運良くナッシュビル近くに引っ越してきたようなエピソードですが、テイラーの父がナッシュビルの事務所に異動になったのがそもそもの発端です。
これは本当に偶然なのか、それともテイラーのことを思ってだったのかは分かりかねますが、両親はテイラーに「この街が好きだから引っ越したんだ。だから心配するな」とプレッシャーをかけないように言葉を投げかけてくれたので、もしかすると両親はテイラーのことを思っての転居だったのかもしれませんね。
だとしたら本当に恵まれた家庭で育ったですわマジで。素晴らしい。
テイラー・スウィフトのデビュー
それからはビッグマシン・レコードというカントリーミュージックに特化したレーベルと契約し、カントリーの歌手としてデビューしました。ポップスの印象が強い彼女ですが、デビュー当時はカントリー一色。
その後、2004年にはRCAレコードというアメリカのソニー・ミュージックエンタテインメントのレコード会社の養成所と契約し、さまざまなソングライターとともに作曲の日々を送ります。
それからRCAレコードとは折りが合わず、レーベルを離れたテイラー。テイラーは15歳でキャリアをスタートさせたかったのに対して、RCAレコードは18歳まで待つとして意見が割れたのです。
妙にテイラーが生き急いでいるというか、若年から早く活動したいという意思がビンビンに伝わってきますが、それもそのはずでテイラーはすでに焦りをおぼえていたといいます。時間がないのにもかかわらず、のんびり待ってる暇などないという思いがレーベルとの関係に終止符を打ったあたり、本気で成功したいと強く強く望んでいたのでしょう。
それから出来立てほやほやのビッグ・マシン・レコードの重役に注目されて契約し、プロモーションのために全国のラジオ局を周る日々を送ります。
またテレビ出演も積極的に行い、その成果が徐々に実っていきます。
2006年10月24日に自身の名を冠したアルバムはカントリー・アルバム部門1位を獲得し、Billboard200では5位に名前を刻みました。
当時16歳のカントリーの歌姫が、世間を賑わせたのです。
以降は2008年にセカンドアルバムの「Fearless」をリリースし、第52回グラミー賞年間最優秀アルバム賞を史上最年少で受賞。
2012年に発売した4枚目のアルバム「Red」は発売後1週間で120万枚以上のセールスを記録し、カントリーミュージックの歌姫からポップスの歌姫へと変貌を遂げます。
ちなみに余談ですが、2009年のMTV Video Music Awards 2009で最優秀女性アーティスト・ビデオ賞を受賞したときに、酒で酔い倒しまくったカニエ・ウエストが壇上に乱入し、スピーチ中のテイラーのマイクをかっさらって母親と舞台裏で泣きました。気の毒な。
しかしビヨンセが間に入ってスピーチを改めて行わせてくれ、カニエはその後テレビで何度も何度も何度も謝ったのだとか。大物が登場しまくってのエピソードにくわえて、カニエ。
カントリーから世界のポップスの歌姫になったテイラー
彼女はキャリアを通して、カントリーの曲から枚数を重ねるごとにポップス寄りになっていったため、カントリー界のアーティストから批判されることもあります。
伝統的なカントリーにこだわりを持つ人からすれば眉を顰めることもあるのでしょうが、変化をすることで新しいものは生まれるので、古き良きにこだわっている人からあれこれと言われるのは、新時代のポップスの歌姫になったことを証明することにもなっていると思います。
グラミー賞を11回受賞し、一部の人が聴く音楽だったカントリー人気を再熱させ、幅広いジャンルでの音楽性を発揮する彼女の活躍は、今後も世界中の人々の心を打ち続けるでしょう。