怒りに満ちた曲作りは多くの若者の思いを代弁して大成功を納めた世界的に有名なミュージシャンです。
しかしその成功が、繊細な彼を大いに苦しめることとなり、悲劇的な終末へと向かっていくのは皮肉な話。
感受性の豊かさが優秀なアーティストを育めど、豊か過ぎる感受性はアーティストを殺すのが世の常でしょうか。
ルックスも歌唱も演奏もファッションも素敵な歌う芸術家を今回は紹介していきます。
カート・コバーンとは
ロックバンド「ニルヴァーナ」のフロントマンであるハンサム。
アメリカ合衆国出身の1967年2月20日生まれ、死亡はそれから27年後の1994年4月5日。
27年の死亡は他界した稀代のミュージシャンやアーティストが多いことから27クラブという一覧が作られるほど運命的な数字ですが、一体この数字にどのような魔力が、呪いがあるのかは不確かなこと。
その死因は決して褒められたものではなく、ドラッグ中毒からの自害という悲しいルートを辿っています。
(そもそも27クラブの一覧に名を連ねるメンバーは殺人やら薬物乱用、自殺など暴力的な終了の仕方がやたらと目立つのも特徴です。数字の共通点といい暴力性といい、人々が惹きつけられる要素が詰め込まれているのも魅力と言えてしまいますが。)
とはいえ、カート・コバーンは、生まれ持っての不幸な人物ではありませんでした。
自動車整備工の父親とウェイトレスの母親の間に誕生した、ビートルズが大好きで絵の上手な少年でした。
幼年期はごく普通に幸せに暮らしていたのです。
しかし、悲劇は少年期にやってきます。両親の離婚です。
この出来事はカート少年の心を深く傷つけ、彼は内向的で引きこもりがちな少年へと変わっていきます。
子供にとって親の離婚は大ダメージなものでしょうが、元々カートは繊細な人間だったのかもしれません。(絵が得意という点にもそういった特徴が現れているのかも?)
父親に棄てられたという気持ちがこべりついて拭えなかったという話があるので、人よりも豊かな感受性を持って生まれていたのではないでしょうか。(じゃなくても親の離婚を子供の頃に経験すれば一生ものの傷になるわけですし)
音楽性に影響を与えた子供時代の生活
彼は子供の頃、友達も作らず図書館で本を借りて読んで過ごすことが多かったです。その頃の読書経験が、歌詞への大きな影響を与えたといいます。ウィリアム・バロウズの「裸のランチ」という本との出会いは特に大きかったのだとか。
友達を作らなかったのは、元々の気質もあるかもしれませんがやはり両親の離婚から内向的な性格になっていたからでしょう。
とはいえ、音楽性を開花させるために孤独の中でも自分との対話の時間は貴重だったはずです。コンプレックスや深い傷、悩み、闇があるからこそ芸術性は磨かれ、育まれ、優れた作品を生み出します。
彼にとって幼少期の経験は、その後の優れた楽曲のために無くてはならないものだったでしょう。彼自身がそれで幸せだったかどうかは、別の話ですが。
音楽との出会い
彼の芸術性には音楽の影響も欠かせません。ブラック・サバスやレッド・ツェッペリン、エアロスミスを聴いて成長した彼は、14歳からロックに興味を持ち始め、質屋で手に入れたギターを片手に音楽に傾倒していきました。当初はAC/DCやレッド・ツェッペリンなどハードロックやヘヴィメタルの曲を練習していました。
高校に上がると彼はとあることに苛立ちます。カートの音楽的な才能から見て、レベルの見合うバンドメンバーが存在しなかったのです。
また、カートは当時パンク・ロックを演奏したかったのに対して、周囲はヘヴィメタルを求めていました。反りが合わずに自分の意思を第一に考えるあたりがアーティスト志向ともいえますが、あまりに自身の感性に忠実すぎてか高校を中退。
そしてその高校で用務員などして働き始めました。中退した高校で働くのか。
その後、カートは自身の趣味志向やら周囲への苛立ちが一致したクリス・ノヴォセリックとバンドを結成します。クリスは後にニルヴァーナのベースを担当します。カートが逝くことでその役目を終えますが。
商業的成功と精神的苦痛
彼はその後、1991年に発売したネヴァーマインドとシングルのスメルズ・ライク・ティーン・スピリットによって大成功を収めます。メジャーで最初のアルバムから余裕で成功しちゃったものの、その成功はカートを苦しめる結果に。
元々彼は、アンダーグラウンドで流行ではない音楽をやることで自身を表現していました。ところがどっこい、いざメジャーで曲を出したら自分たちがメインストリームと化してしまったため、自分で自分を裏切るような結果を作り出してしまったのです。
流行を否定するような立場だったのに、自らが流行の震源地となった矛盾。自分自身を見失うには充分過ぎる現象でしょう。
しかも矛盾は、大ヒットの前から生まれていました。というのも、流行という売れ筋を否定しまくっていたはずの彼は、ネヴァーマインドの製作時点でメジャー市場を意識した曲作りを行なっていたといいます。
つまり、売れるものを作るのは間違ってると考えていながら、売れるものを作ろうとしてアルバムを制作したのです。そんな自分の中の理不尽さに憤りを感じており、結果マジで売れちゃったから自分の中でワケわかんなくなったというわけです。
自分の思い通りになってるのかなってないのかごちゃ混ぜな状態に精神はすっかり疲弊し、そのままお決まりのルートで薬物乱用に直行します。
彼は少年期のエピソードから繊細な人物と察しがつきます。少年期にはうつ病ももっていたくらいです。
曲作りやら自身に対する悩みやら薬物やら精神病やら重なりに重なり、苦しんだ挙句に自殺未遂。
そして1994年4月5日には、シアトルの自宅で自分で自分の頭をショットガンでぶち抜いてあの世にいきました。
カートの母親は、ジミ・ヘンドリックなども名を連ねる27クラブの仲間入りしたことを嘆いたといいます。こんなこと言うのもなんですがそりゃそうでしょう。
闇の中の死の真相
とはいえ、カートの死については疑問が残るとされています。
なぜなら、当時の嫁だったコートニー・ラブの存在があるからです。コートニーとカートは離婚調停中の真っ最中で、コートニーはもし離婚すればカートの悩みに悩んだ結果生まれた名作による何億ドルというとんでも資産が失われる羽目になります。
それを阻止するために元恋人と共謀してカートを消し去ったという説もあるのです。この説はカートがローマで自殺未遂をした際、コートニーと離婚したい旨を書いたメモが残っていたがコートニーがそのメモを処分したり、カートが死んだ現場の検証において不可解な点が多数見られるなども原因となっています。
しかし真相は不明なままです。本当に嫁が殺したのだとしたらカートの人生が不幸極まりないです。
カートの音楽性
カートはロックバンドを好んでいました。先に述べたレッド・ツェッペリンやブラック・サバス、AC/DC、セックス・ピストルズ、などのほか、ピクシーズやソニック。ユース、サウンドガーデンなどグランジと呼ばれるジャンルのバンドも愛好していました。(グランジは彼の音楽性だけでなくファッションにおいても重要で代名詞的な存在です)
しかし彼にとってとても大きかったのがビートルズ。子供の頃にはおばさんがくれたビートルズの曲をほとんど聴いていたというほど、彼の音楽ルーツに欠かせない存在となっています。なかでもジョンレノンが一番好きだったとか。ジョンの心乱れる曲に対して共感できたといいます。
葬儀ですらビートルズのIn My Lifeが流れていたほどです。
ちなみに商業主義的なヘヴィメタルバンドが大嫌いだったので、ガンズ・アンド・ローゼズやヴァン・ヘイレンは嫌悪していました。
しかしガンズのフロントマンであるアクセル・ローズはカートのニルヴァーナのファンで、自身のツアーにニルヴァーナを同行したがっていたそうです。
カート自身は雑誌のインタビューでガンズをボロカスに叩いているのに、アクセルはめげずにニルヴァーナに対してラブコールを送り続けていたといいます。
(アクセル・ローズもかなり面倒くさいというかめちゃめちゃ人間性に問題のある人物のはずなんですが、そんな彼に好かれるってのも凄いっすね)
アクセルはカートに何度も何度も電話をしまくっていて、着信に辟易していたカートの姿をニルヴァーナのドラム担当のデイヴ・グロールが目撃していたほどです。
(その後アクセルはカートとコートニーをひっくるめていかれたジャンキーだとステージ上で堂々とけなし倒していたので、シカトされまくってディスられ倒してやっぱりムカついたんでしょうかね)
カートのファッション
カート・コバーンといえばグランジファッションです。
グランジとは、元々90年台のアメリカのシアトルで流行していたグランジロックから派生したものです。
グランジロックはカートも愛聴していた音楽ジャンルで、70年代後半のパンクやハードロック、ヘヴィメタルを源流とした音楽ジャンルであり、パンクのような簡素かつ性急なビートと、ハードロックのリフ主体の楽曲構成の融合が特徴です。
そしてこのグランジは、カートが嫌っていた商業的ヘヴィメタルバンドの派手派手しい舞台衣装ではなく、ダメージジーンズやスニーカー、Tシャツやネルシャツなどそのへんに居る格好で演奏するスタイルで音楽シーンにファッション面でも革命を起こしました。
80年代後半まではロックミュージシャンは派手で豪華に着飾るのが当然だったのに、そのへんをうろついてる格好そのまんまで演奏するっていうのは逆に新鮮この上なかったというわけです。
ちなみにカートコバーンはこのグランジファッションでも一世を風靡しましたが、なぜほつれたニットだとかクタクタになったネルシャツだとか穴のあいたデニムを着ていたのでしょうか。
古着がイケてると知っていたから、ではなく金がないから仕方なく普段着で演奏していただけだとか。
…まあでも、アンダーグラウンドで商業的なメタルだとか装飾的なファッションを嫌っていた彼らしいスタイルといえますね。ありのままの自身に悩みながらありのままの自身の姿で演奏してたからこそ観客に刺さって売れたんでしょうから。
ありのままの姿でありのままのロックを演奏するっていうのは、それまでの主流だった作られまくった商業音楽に対する反発であり革命だったのです。
ちなみにグランジファッションはハイブランドでもテーマとして取り上げられています。
ただカートの普段着そのまんまみたいな扱いではなく、現代流にアレンジはされていますが。ダメージ加工やヴィンテージ加工といったグランジアイテムをキレイめに着こなすなど方向性の変化はありますが、それでもグランジの魅力が現代でも感じられているからこそ取り入れられているわけです。
しかし、当時は古着は貧乏人が着るもので、だれかに使い古された汚いものという扱いでした。グランジという言葉がそもそも「汚い」を表しますからね。
それを斬新なファッションとして昇華したカートはすごいです。なにせただ自分がやりたいことやってたらそれがファッションアイコンになっちゃったわけですから。
ありのままの自分にこだわり、悩み、それを体現していれば、人々の心にぶっ刺さるというわけで。まさに芸術家、アーティスト。
ありのままを貫き続けるということ
カート・コバーンは死後長らく時が経った今でもその存在感があります。
それは彼が自分の信念を貫き続けた姿勢と結果の賜物でしょう。
本人は幼少期の辛い経験や、元来持ち合わせていた繊細さや気質から、人生を通して苦しい経験を積み重ねてきただけかもしれません。
しかしその苦しみから生まれる楽曲は、いまなお人々の心に突き刺さり、愛聴されています。
彼の精神性からくる純粋無垢な苦しみや葛藤、貫き通そうとする意思は、時代や人種を超越して人間という存在に対して問い続けるものがあるのではないでしょうか。
人々の心にあり、多くの人が目を逸らし続けるものを、彼は避けることなく真っ向から見つめ続けた。
その強さは楽曲となりスタイルとなり作品となり、人々の心の奥底に沈められている追いやられているものを引っ張り出し、感性に触れて感動を与え続けているのでしょう。