音楽が魅力的だからこそバンドに惹かれボーカルに惹かれギターテクに惹かれベースプレイに惹かれタム回しに惹かれることは、だれしもあるでしょう。
しかし、生き様自体が音楽のテーマを表現しているような人物には、音楽性を抜きにして魅了されるということもありえます。
その代表とも言える人物が、パンクバンド「セックス・ピストルズ」の『シド・ヴィシャス』。
ベースプレイヤーだった彼は、特にベーシストとして優れた技術を持っていたわけではありません。むしろまともに弾くこともできなかったといわれる彼が、パンクの伝説とも謳われる存在なのは、その生き様があまりにもパンク過ぎたから。
今回はそんなパンクスを地でいくミュージシャンを紹介しましょう。
シド・ヴィシャスの概要
1957年5月10日生まれのイングランド出身パンクロッカー。
死亡は1979年2月2日と、わずか21歳でこの世を去ったということがまず驚き。しかもその死因は病死でも事故でもなく、薬物の過剰摂取によるオーバードーズ。
この時点で波乱に満ち溢れている経歴ですが、彼の体躯もなかなかに過激。
身長約185cmの長身に、体重はわずか約45kgだったといいます。ガリガリどころではありませんね…よくこれで過ごすことができたといった感じですが。
ちなみにこれは収監されたときに計測された記録だといいます。計測記録のつき方もかなりぶっ飛んでいます。
パンク史上を語る上で重大な存在というのが、さっと紹介したこれだけの情報にも凝縮されているかと思います。
音楽性ではなく存在がパンクということが非常に重要な人物なのです。
ではここから、彼のパンクスな存在について紐解いていければ。
シドはどんな人物だったのか
まずはじめに、えらく攻撃的な名前である「シド・ヴィシャス」というのは本名ではありません。
ピストルズのギラリストであるスティーヴ・ジョブズが昔飼っていたハムスターの名前が由来だとか。生き方がパンクスだといった直後に名前の由来が逆方向にぶっ飛んでいますが、とにかくハムスターが由来です。
彼の本名はジョン・サイモン・リッチー。ただ彼自身はシド・ヴィシャスという名前をとても気に入っていました。名前を気に入り、シド・ヴィシャスという人物になりきり、彼はジョン・サイモン・リッチーではなくなっていきます。
お気に入りのシド・ヴィシャスという人物を、自分が大好きだったマーベルコミックのヒーローのようにしてふるまっていたようです。子供っぽいところがある、というか21歳で亡くなっているんですからずっと子供だったようなものですが。
彼自身の振る舞いは常に独特だったようです。独特といえば聞こえはいいですが、社会の常識的な考え方やルールを一切合切無視して、自分の考え方で動いていたということになります。
若干予想できそうなものですが、これゆえに周りからは常に煙たがれる存在であったようです。そりゃ迷惑な言動も一つや二つは済まないでしょう。
ここに彼の反社会性、つまるところのパンクスの源流が脈々と流れていますね。
なぜセックス・ピストルズに加入したのか
ものの考え方がそもそもパンクスだった彼は、セックス・ピストルズにはうってつけの存在だったかもしれません。
しかし、彼自身は音楽の経験はまったくないズブの素人でした。
そんな彼がどうしてセックス・ピストルズに加入できたかというと、そもそもセックス・ピストルズ自体がただの不良な素人を集めただけのバンドだったので、特に驚くことではないかもしれません。
元々、セックスピストルズは今でもイギリスブランドとして著名なヴィヴィアン・ウェストウッドの店舗「SEX」にたむろしていたキッズたちをかき集めてできたバンドでした。
当時のイギリスでは貧困にあえぎ職にあぶれてイラつく若者であふれていたため、ヴィヴィアンとともにSEXを経営するマルコム・マクラーレンが「不良に反社会的な格好でぶっ壊れた音楽を歌わせたら売れる」と画策して作られたのがセックス・ピストルズでした。
そんなピストルズに呼応するように熱狂的ファンになった若者たちの中に、シドもいたのです。
彼はファンの頃から客席で大暴れして、ピストルズが見えないといった記者を自転車のチェーンで殴るなどパンクロック精神に溢れた振る舞いをしていて、客としても有名な存在でした。
さらに、ピストルズのヴォーカルであるジョニー・ロットんはファッション関係の専門学校時代の友人であったため、初代ベーシストが脱退したタイミングでシドに声がかかったのです。
まったくベースが弾けないベーシスト?
そんなこんなでピストルズに加入したシドですが、演奏経験がないためもちろんベースをすぐに弾くことはできませんでした。
そのため、彼はベースが弾けないくせにあのセックス・ピストルズでベーシストをやっているという意味でも話題になったのです。
しかし、じつはまったく弾けなかったわけではなく、彼なりに練習してベースプレイはできるようになっていました。それは現在でもいくつかのライブ映像で確認できます。
彼がベースを弾けないベーシストと言われたのは、いわゆるプロモーション的な意味合いもあったのではあいかと考えられます。「まともに楽器が弾けないのにバンドやってるなんてパンク過ぎるぜ!!!」といったところでしょうか。
このあたりも、伝説のパンクバンドを作り出した黒幕であるマルコム・マクラーレンの策略かもしれません。
(パンクスは反社会の象徴であるはずなのに、商業的に売れると踏んだマルコムが考えを練りに練ってピストルズをプロデュースして流行らせたため、パンクブームは反社会性の代表でありながら大人の都合でつくられたというペテン的な側面があります)
話をシドに戻して、彼なりに一生懸命練習はしていたようですが、後述する魔女であり恋人のナンシーという人物とべったりになってからは、本当に練習をサボって本気でベースが弾けなくなっていきます。
シドのカリスマ性
このため、シドは演奏力で人々を魅了していたのではなく、言動のパンキッシュさで人々を魅了していました。アメリカツアー時にはヴォーカルのジョニー・ロットンとバンド内の人気を二分し、シドがベースプレイをしているところに群衆が群がったというエピソードもあります。
彼のカリスマ性は言動だけではなく、その溢れ出るセンスから生み出されるファッションにもありました。
元々、シドはマルコムとヴィヴィアンの経営するブティック「SEX」に入り浸るただの少年に過ぎませんでした。
ですが、その当時から彼のファッションセンスは抜きん出ており、あのヴィヴィアン・ウェストウッドが絶賛していたといいます。
彼は本来から持ち合わせていたセンスがあったようで、積極的に楽曲制作が目立っていたわけではないのですが、残っている作曲を見ても天性の才能を感じ取ることができたといいます。
天才性のある人物だったゆえに、カリスマ性を持っていたということかもしれません。
ちなみに彼のファッションの代名詞である「R」が刻印された南京錠のネックレスやリングベルトは、いまでもトレードマークとしても有名です。
シドと麻薬
才能あふれる彼だからこそ、精神的に不安定だったのかもしれませんが、彼はカリスマ性だけではなく悪いものとも身近な存在でした。
麻薬です。
彼は麻薬を常習する重度のジャンキーでした。それは同じ麻薬中毒者のミュージシャンから見てもドン引きするレベルだったのです。
その麻薬もヘロインなど人生を終わらすレベルのガチでヤバい薬に依存していたので、彼が早死にするのも無理はありません。
麻薬を常習し過ぎて普段の生活に支障が出たのはもちろんのこと、ライブ中にもまともに演奏できないのが常でした。
彼はセックス・ピストルズの解散後に自身が憧れていた、アメリカ出身でパンク界に大きな影響を与えた偉大なミュージシャン「ジョニー・サンダース」とバンドを組む機会に恵まれたのですが、同じ麻薬依存症であった彼から見ても危険なレベルで薬に溺れていたといいます。
せっかく憧れの人物とともに演奏しても、まともにステージでライブパフォーマンスを保てないシドを途中で降板させているのです。
ちなみにこの出来事はシドを大いに凹ませたといいます。憧れの人物で同じ麻薬中毒者に呆れられりゃそりゃ落ち込みもしますが。ツッコミどころの多過ぎるエピソードです。
シドはメンバーだけでなく、そんなライブプレイを見た客からも当然ですが冷ややかな反応を受けます。金払って麻薬中毒者がラリってる姿を見るなんてやってられませんしね…
彼が麻薬に溺れたのは、後述する魔女であり恋人のナンシーの影響が多分にありますが、元々彼の母親が麻薬中毒者であったため、以前から軽度の麻薬を常習していたといいます。
彼の人生には麻薬が欠かせなかったというわけです。
ヘロインに蝕まれてひどいときには歌詞を覚えるのも一苦労で、1曲を収録するのに1週間近くかかったといいます。
彼が異常な長身体躯だったのは、ヘロインによる衰弱も原因だったのです。
魔女ナンシー
シドを語る上で欠かせないものが他にもあります。
恋人のナンシーです。
しかしこのナンシーが、シド以上にヤバい人物といっても過言ではありません。
シドに危険度の高い薬物を常習させたきっかけであり、彼を破滅の道に導いた死神のような人物に思えてなりません。
それはナンシーの人生をさらっても瞭然な事実。彼は生まれたときから死とともにありました。
出産時にはへその緒が首に絡まり、命を落としかけながら生まれてきた彼女。
生後3ヶ月時から乱暴な振る舞いがあり、向精神薬を投薬されていたといいます。
5歳の時点での知能指数テストでは優秀な結果を出すものの、友達はごくわずか。妹や弟に暴力を振るうのは日常茶飯事で、ベビーシッターをハサミで「殺す」と脅し、11歳で退学処分となっています。
それからは自殺未遂や薬物での逮捕、州からの永久追放、仕事を初日でクビになる、盗みと麻薬の密売で生計を立て、売春宿で働くといった壮絶な人生を歩んでいます。
ある意味シドよりも反社会的でパンクスな生き方をしていた彼女が、パンクバンドに魅せられるのは当然だったのでしょう。ニューヨークで勃興していたパンクに傾倒し、ロンドンに移住してからはセックスピストルズに出会ってシド・ヴィシャスと運命の出会いを果たし、ついて回り、やがてともに生活するようになります。
シドと関係があったのはわずか2年ですが、この生活は堕落し切っていました。ナンシー自身は周囲に暴言と暴力が尽きない人物でしたし、その彼女に影響されてか、シド自身もますます暴力的になっていきました。
そしてナンシーへも暴力的に振る舞い、シドとナンシーには暴力と薬物が絶えない終わっている生活を送ります。
そしてあるとき、ナンシーは死体で発見されます。
この死はシドが薬物でイってるときにナンシーを殺害したという話がありますが、真相は闇の中。彼女の死には謎がついてまわり、そばにあった多額の印税が奪われていたことや、多数の人物がナンシーの死亡したホテルの部屋を出入りしていた、シドはそのとき昏睡状態だったという証言があるなど、かなり気味の悪い事件となっています。
シドの終焉
破滅的な女性との出会いから、シドはますます本来の本来のサイモン少年から遠ざかっていくことに。
警察に逮捕されたもののレコード会社が多額の保釈金を支払ったことで自由の身となりましたが、彼の心に自由なんてなかったのでしょう。
自殺未遂、ビール瓶で殴る傷害事件、あらゆる暴力沙汰を起こした挙句に、高純度のヘロインを大量に摂取して死亡。
死後、シドの革ジャンのポケットから遺書らしきメモも発見されています。
『俺達は死の取り決めがあったから、一緒に死ぬ約束をしてたんだ。 こっちも約束を守らなきゃいけない。
今からいけば、まだ彼女に追いつけるかも知れない。
お願いだ。死んだらあいつの隣に埋めてくれ。
レザー・ジャケットとレザー・ジーンズとバイク・ブーツを死装束にして、さいなら。』
最悪な生活をともにした最悪ともいえる女性でしたが、彼はナンシーを愛していたのでしょう。
死して彼女とともにいたいという願いは、しかし叶いませんでした。
ナンシーの両親に拒絶されたのです。
その思いを叶えるために、シドの母親はシドの墓を掘り起こし、遺灰にしてナンシーの墓に撒いたといいます。
…母親もなかなかパンクロックなことやりますね。
ちなみに、母親曰く本来のシド、もといサイモンは大人しい少年だったようです。
セックスピストルズで観客に求められる姿を、そして自分自身が求める姿に喜びを感じ、シド・ヴィシャスを演じ切ることで、サイモン少年はいなくなり、本当にシド・ヴィシャスになってしまったのです。
生き様そのものがパンクという伝説
ざっとその人生を追うだけでも壮絶だということがわかります。
ですがその壮絶さは、彼の体現していたパンクスそのものだったからこそ、いまでも伝説として人々に語り継がれています。
彼の人生が幸せだったとは言いませんが、人々の記憶に強烈に残る生き方には、それだけの価値があると思います。
薬物と暴力と絶望と天性の才能に満たされていた彼の人生は、後の音楽にも多大な影響を与えて、著名なミュージシャンが彼を憧れの人物として挙げています。
影響力のある彼の生き様は、今後もより多くの人たちに影響を与え、パンクスの精神を表現に昇華させ続けることでしょう。