ロックギターの神様「エリック・クラプトン」とは?

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真面目で穏やかでギターの上手いおじ様かと思ったら、ガッチガチのヤク中だったと知った時の良くも悪くもな衝撃が、さらに興味関心につながるというのはミュージシャンの魅力ということでしょうか。

とにもかくんも天才的かつ史上最高と謳われつつ、悪い意味で偉大な先人たちのように早くに天国への階段上らなくてよかったと心から思う次第で、軒並みギタリストの歴史上トップランカーとして一生消えない彫り方で刻まれている才人。

エリック・クラプトン。日本では英国3大ギタリストと親しまれ、世界中ではジミ・ヘンドリックスとともに史上最高のギタリストランキングの1、2を飾り続けている名プレイヤー。

歳を重ねるにつれてますます格好良くなる方というのは本当に偉大であり、ギタリストとしてだけでなく声も良いという魅力の塊っぷりは1秒でファンになること請け合い。

2022年現在で77歳になられた彼の軌跡を今回は辿っていきましょう。

エリック・クラプトンとは?

さっそく全人類の知るギターサウンドからスタートした偉人紹介ですが、なにがそんなにすごいのかというと著名なランキングのギタリストランキングで常に上位をキープしている、というレッテルだけでは当然なく、なんでそんなに軒並み評価されているかというのにはもちろん理由があります。

彼は現在のロックギターの演奏の基礎を形作ったというその偉大さから、現在でもロックギターの神様扱いされており、ロックギターの生みの親ともいえる存在なのです。

詳しくは後述していきますが、ロックギターを産んだ神はどうやってこの世に生まれたのから順に追っていきましょう。

ワケありの両親から誕生

1945年3月30日、エリック・パトリック・クラプトンはイングランドのサリー州リプリーで誕生しました。

25歳の軍人の父と16歳の母親が両親であり、母がかなり若いですが、クラプトンは彼女のことを歳の離れた姉だと思っていました。

さっそく大きな疑問符が浮かぶような家族の関係性ですが、クラプトンは実の両親ではなく祖母夫婦の元で育ったという経緯があるため。

父は軍人のためクラプトンが誕生する前に出征しており、そのまま故郷のカナダに帰国しています。

で、歳の離れた姉のような若い母親は別のカナダ人の軍人と結婚してドイツで一緒に住むことになります。幼いクラプトンを連れて行かずに、です。

クラプトンはなんか色々とツッコミどころの発生する実の両親からはリアルな距離感を取って育ったというわけで、この時点で訳ありな出自であることが伺えます。実際に彼は祖父母に育てられはしたものの孤独な少年時代を送ったようで、彼の孤独がミュージシャンとしての感性を磨いた感がヒシヒシと伝わってきます。

偉大な音楽家には孤独やら寂しさ、理不尽な暴力から逃避する先として、また心身を癒す唯一の存在として音楽を幼少期からの拠り所としている人物が散見しており、クラプトンもその1人だったのではないでしょうか。

音楽性や芸術性の素養が恵まれない環境下で育まれるという幸せではない成長を遂げつつも、その証明と言わんばかりに彼もまたアートスクールの学生となります。

意外にもはじめはギターに興味が無かった?

そして17歳で彼はギターを始めます。ここからギターの神が誕生したのかと感慨にふけりたいところですが、しかしじつは13歳の誕生日にはドイツ製のアコースティックギターをプレゼントされています。

なんで13歳からキャリアのスタートになっていないかというと、プレゼントされたアコースティックギターは安価であり、スチール弦での演奏が難しくてその時点ではギターに興味が無かったのです。

ギターの神様がギターに興味なかったエピソードというのもビックリですが、その2年後には再びギターを手に取って真面目に練習を始めました。

ほかの英国ギタリストであるジェフ・ベックやジミー・ペイジは幼少期からゴリッゴリの音楽オタクでありギターマニア的な側面があったようですが、クラプトンはそんなにガッツリオタクというわけでもなかったのでしょうか。

とはいえ幼い頃から音楽の影響は受けており、特にブルースの影響が強かったクラプトン。ギターの練習を真剣に始めてからはブルースのコードをまなぐために、レコードに合わせて時間をかけて練習しました。一生懸命さが出ていていいですね。

事実、彼はテープレコーダーに自身の演奏を録音しては、ちゃんと理解できるまで何度も繰り返して耳にしていたのです。ギターの神様呼ばわれる人がめっちゃくちゃ真面目にコツコツと練習しているエピソードは

新鮮であり感動的です。

でもって音楽への情熱がどんどんと強くなったからか、キングストンの美術学校に通っていながら音楽のことばっかりになっていたため、学校を辞めています。

辞めたというか辞めさせられた感じなので音楽への気持ちが強くなっていた証なのでしょう。けっして不真面目だったとかでは、ない、はず。まあ不良でもぜんぜんいいんですけど、個人的には。

とにかくギター熱がどれほどだったかというと、16歳の時点ですでに注目を集める存在でした。
その技術力を活かしてクラプトンはキングストンやリッチモンドなどのストリートでパフォーマンスを行なっており、それからはパブでの演奏も始めました。

彼はブルーズだけでなくロックンロールやR&Bも好んでおり、アーティストではチャック・ベリーやビッグ・ビル・ブルーンジーがお気に入りでした。

自身の音楽の嗜好性からR&Bバンドを結成しますが、このバンドは長続きせずに解散。そして次に参加するバンドが、1つ目のきっかけともいえるでしょう。

ヤードバーズへの参加

次にクラプトンが参加するのは、ブルースの影響を受けたロックンロールバンドというこれまたクラプトンの嗜好性に合ったバンドです。それが1963年に参加することとなるヤードバーズ。
このバンドは後にクラプトンを含めた英国3大ギタリスト全員が参加することになるとんでもバンドですが、その1人目としてクラプトンが参加します。というかクラプトンの抜けた穴を埋めるためにあと2人のジェフ・ベックとジミー・ペイジが参加するようなものなので、いろんな意味でぶっとんでいますが。

クラプトンはシカゴ・ブルースやブルースギタリストとしてメジャーだったB.B.キングやフレディ・キングの影響を受けながら独自のギターテクを磨いていき、瞬く間にイギリスでも名の通る名ギタリストとして話題になります。

そしてバンド自体も大勢のファンを魅了し始めるなど順調なバンドライフを送っていきます。

ちなみにこの頃、クラプトンにはスローハンドというニックネームがありました。これはクラプトンがギターの弦をライブ中に切ってしまった際、観客が遅い手拍子をすることで間を持たせていたことが由来とも、クラプトンの演奏時の手の動きがゆっくりしていたことから付けられたともいわれています。

そんなこんなで観客にも恵まれていましたが、バンド自体はライブでこそ人気があるもののブルースのカバーを発表するばかりで、ヒット曲には恵まれていませんでした。
とはいえブルースが好きなクラプトンとしては、当時ならまだ楽しく活動できていたのかもしれません。

とはいえメンバーたちはどうにかこうにか売れたくて売れたくてたまらず、グレアム・グールドマンというソングライターの作った楽曲によって、1965年には遂にヒット曲に恵まれます。この「フォー・ユア・ラヴ」という楽曲がヒットしたことで、バンドはポップなサウンドに寄せていこうと決めます。

が、これがクラプトンの音楽性の違いを生むことになるのです。もともとクラプトンはブルースにこだわった音楽を求めていたため、ヒットしからといってポップ路線に走ろうとするバンドに反感を覚えます。
仕方なくバンドの方向性に合わせてダルがりながらギターを演奏し、基本的にはスタジオのベンチでふて寝をかますほど無気力になっていたクラプトン。

そしてバンド初のヒット作である「フォー・ユア・ラヴ」がリリースされたその日に、ぷラクトンはヤードバーズを脱退します。どんだけ苛立ちが募っていたのかと言わんばかりの当て付けMAXな辞め方ですね。

これは売れたくてたまらなかったバンドとしては相当な痛手でした。というのもヤードバーズにとってもクラプトンの演奏力は甚大であり、凄腕のギタリストとして非常に頼りになる存在だったのです。

方向性の違いでバンド脱退というのはよく聞く言葉ですが、こんなにも露骨に方向性が分断されて大切なメンバーを失うというのはキツいものがありますね。

だからこそほかの3大ギタリストレベルを渇望したのでしょうが、それほどクラプトンの存在感は大きかったということでしょう。

転々とバンドを移っていく名ギタリスト

以降はクラプトンはザ・ブルースブレイカーズというバンドに参加します。

ブルースのギターの影響力をバンドに与えて、バンドでもギタリストとして評価を高めていったクラプトン。

しかし数ヶ月で脱退してまた入り直してと出入りしていたクラプトンでしたが、同バンドでの出会いが次のビッグなバンドの結成につながります。

それがクリームです。
クラプトンはシカゴ・ブルースの第一人者であり自身の演奏にも多大な影響を及ぼしたバディ・ガイのコンサートを目の当たりにして生まれた着想から、ザ・ブルースブレイカーズに所属していたジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーとともに結成したバンドがクリーム。

このバンドはイギリスでのクラプトンのトックギタリストとしての知名度を確立し、アメリカでも彼が知られるきっかけになったバンドであり、現在ではスーパーグループを開拓したといわれる偉大なバンドです。
全世界でのアルバム総売り上げは3500万枚以上、当時の音楽シーンに与えた影響は計り知れず、ハードロックの基礎をつくったバンドでもあります。

そしてライバルとして現れたのが当時すでにスターであったローリング・ストーンズやビートルズのメンバを魅了していたジミ・ヘンドリックスです。

もちろんクラプトン自身もその魅力には影響を受け、自身の次のキャリアに大きく影響を与えました。ジミ・ヘンドリックスとクラプトンが後に名ギタリストのワンツーを飾ることになりますが、同時代にトップの2人が存在していたことは奇跡といえるでしょう。

商業的な成功を収めたクリームはヨーロッパとアメリカで精力的にライブ活動を行い、当時最高のバンドとして評価もされていました。

が、クリームは短命なバンドでもありました。メンバー間の対立や、ドラッグやアルコールの悪影響でギクシャクしまくり、1968年に解散。1993年や2005年には再結成を果たしますが、それまではわずか2年ほどの活動期間しかない伝説的なバンドでした。

以降はクラプトンはブラインド・フェイスやデラニー&ボニー&フレンズ、デレク・アンド・ザ・ドミノスなど転々としていきます。どのグループでも長く在籍しておらず、というか長続きしないのも彼の特徴でもあります。

それからはソロとして活動し、成功を収めて現在まで続いています。

成功の裏側にある影

人間的に濃い部分があってメンバー同士と衝突することもまあもちろんあるのでしょうが、キャリア途中にはドラッグの問題やらで精神的にも肉体的にも不安定な時期がけっこうあり、周りからも心配されるという具合でした。

転々とバンドを渡り歩きながら、クリーム結成前の時点でロンドン各地に「CLAPTON is GOD」という落書きが各地でされまくっていたという才能豊かっぷりだったので、各地の天才よろしく若くしてあの世に逝っちゃうような雰囲気もあって笑えないですが、クラプトン自身は自殺について自伝で語っています。

彼は薬物に溺れ、アルコールにも溺れまくっていた時期があり、人生でも最悪の瞬間があったと語っていますが、それでもなぜ死ななかったかというと、死んだらさけを飲めないからと言っています。
アルコール依存という状況でありながら、そのアルコール依存のおかげで死を免れているというのもなんといえばいいのかという感じですが、実際彼のアルコールへの依存は度を越していて、それが生きる上での唯一の価値だと思っていたくらいです。

完全に病んでいますが、そこから立ち直って依存症からリハビリに励んで冷静さを取り戻したので本当によかったです。

エリック・クラプトンの特徴

彼は前述したようにさまざまなバンドを渡り歩いてきたことから、常に新しいことに挑戦して様々な音楽を生み出してきました。

基本的には、彼のメインはこだわりであるブルースでした。ヤードバーズやブルース・ブレイカーズ時代、そしてスーパーバンドのクリーム、ブラインド・フェイス、デラニー&ボニー、そしてソロ活動と、一貫してどこかしらにブルースのスタイルは関係しており、一貫性自体はあります。

今回紹介してきたこれらのバンドの合間にも細々とした活動も多く、常にブルースはクラプトンにとって特別なものでしょう。

特にブルースミュージシャンのロバート・ジョンソンが彼に最も影響を与えているという発言もあるように、ブルースの下地が名ギタリストをこの世に輩出したといっても過言ではありません。実際に彼はロバート・ジョンソンのカバー曲をエレキギターやアコースティックギターの演奏でもリリースしているので、楽曲にもブルースへのリスペクトが感じられます。

そんな彼のギタープレイは世間でも大きく評価されており、ロックンロールの歴史や栄光を称えたアメリカの博物館であるロックの殿堂には唯一3度入っている人物でもあり、まさにロック史上で彼の存在はかけがえのないものです。
それもヤードバーズのメンバーとして、そしてクリーム時代、さらにソロとそれぞれ活動時期で入っているので、キャリアを通してどれほどロック史を語る上で重要なのかが窺い知れます。

また、ローリング・ストーン誌の「史上最高のギタリスト100人」では、ジミ・ヘンドリックスに次いで2位に選出されており、ギブソンの史上最高のギタリストでも4位にランクインしています。

軒並みトップランカーであるクラプトンの偉大さは、なぜそれほど評価されているのか。
それは現在のリックギターの演奏の基礎を形作ったことであり、現在のロックの特徴でもある歪みのあるサウンドはクラプトンの演奏による影響が多大で、うつまりはハードロックやメタルのサウンドも彼の存在なくしては発展しなかったともいえます。

また、ギターほどメインで評価されてはいないものん、彼のヴォーカルにも独自の魅力があります。
妙に心に訴えかけるような苦しさや裏返りのある発生は、ただ単に上手いというヴォーカルではありません。というより昔は、特に70年代などはけっして上手かったわけではなく、さらにいえばドラッグなどの悪影響で安定性にもかけていました。

しかし、だからこ人間として生のエネルギーが伝わってくるともいえます。人ととしての不安定さやありのままの人間性が声を通じて伝わるからこそ、安定性や技巧としての上手さではなく、パッションとして発生しソウルで人々に伝わる独自の力を宿していると思います。

現在でも偉大なギタリストとして存命して活動している彼が、その不安定な人間性を宿していながら、ほかの偉大なギタリストのように短命でなかったことは本当に幸いです。

これからも彼の魂の響きを堪能できる幸福を味わいたい一心であり、彼のこれからの活躍をいつまでも見届けたいと切に願います。